昨日は右目の手術でした。




先回、左目の手術の時、翌日まで左目はもちろん右目も涙が出て開けてられなかったので、今日から退院までのコラムは手術前に書いておいたものをお届けしています。

 

そんなことで、今日は手術した右目がもしかしたらほとんど見えないまま回復しないかもしれないし、何にしてもこれから失明に進むので、そんな自分に言い聞かせる意味もあって、私の思う「失う」ということを過去の経験も交えて書いてみようと思います。

 

(名大病院より)

 

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名大病院の病室ベットからの夜景は最高🌃



なんと入院した日は月曜日なのに花火まであがってる🎇🎆


僕への応援花火かな?


熱田まつりの花火だったようです。


病院のベッドから花火が見えるなんて、ついてる❗️ついてる‼️






【失うこと】

私はガンになったことで様々なものを失ってしまったと思っていた。

地位、名誉、人生設計、何不自由ない体・・・・

それまで頑張って、頑張ってそれまでに築いてきたもの。

あって当たり前だと思っていたもの。

双方とも多くの物を一瞬で失ったことで、目の前真っ暗大ピンチに陥った。

しかし、失って何もなくなったことで、それでも有るものの力によって生きていることへの感謝の気持ちが生まれるようになりました。

そしてそんな時、有るものは自分が持っているものより、自分以外によって与えらたものの方がはるかに大きいことが解った。

例えれば自分が車だとすると、与えられたものはガソリンや壊れた個所を修理してくれる人。

それを以前の私は自分は立派な高級車だと思い自分勝手に乗り回していたが、突然燃料切れでガス欠(鬱病)になった。

ここで気付けばよかったのだが、それが出来ずにガソリンを補修して遅れた分を取り戻そうと更に加速してぶっ壊れてまったく動かない只の車体となって機械に繋がれた。

そこにあったのは無力感、絶望感、孤独感、そして生きていたい!という願いだけだった。

その願いが通じたかどうかは解らないが、私は13年後の今でもこうやって生きている。

そのプロセスの中で、私に有ったものは、ボロボロにはなってしまったが一生懸命働いていてくれる体、そしてこうなりたいという願望だけだったかもしれない。

後は衣食住などの生活、知識、などすべて自分以外のものの力によって生かされてきた。

そして、あるという事は当たり前でもないし、あり続けるものでもないということに気付くことが出来た。

つまり有るということは私たち人間が意識しているだけで、本当は何もないということ。

仏教でいうと「無常」ということになる。

そして人間は「ある」という意識を持つことで、失う事への苦しみや不安や不満、さらには奪われることへの怒りや憤り、ないものへの嫉妬、羨望などのマイナスの感情が生まれる。

そう思うと、ガンになる前の私は「ある」という事にとても拘っていたなぁと改めて感じる。

しかしそれらを、失って気付いいたことがある。

失ったことで、もっと価値があるものが入るスペースが出来るということ。

それは失われなかったら気付かなかった大切なもの。

大きな震災で多くの物を失った方たちにも共通するもの。

それは、それは感謝の気持ち、生きるという事は決して自分一人では出来ないということに被災者となって気付き、さらに夢や目標ができる事で、それが復興の原動力となるのだと思う。

何年か前、フィリピンに語学留学をしていた娘が帰ってきて「フィリピンの人の8割は夢を持っていてそれを語ることが出来るが、日本人で夢を持っている人は2割しかいない」という話を聞いた。

そして、その理由は「日本は生きていくうえで必要なもののほとんどはあるから」という事であった。

この話を聞いた時、とても納得できた。

私自身、夢を持って生きていたがそれが見えなくなったことで鬱になり、ガンになった。

しかし、ガンになり多くものを失ったことで、新たな夢ができて生きる希望が持てるようになった。

また、昭和20~30年の戦後生きた人は「戦争で何もかも失ってしまい、なにもないこの世の中を良くした」という想いで今の産業や経済を作ってこられたのも夢があったからではないか?と思う。

当時はほとんどの人が持っているものを失ったからこそ、多くの人の想いや夢がそれを実現したのだと思う。

しかし今は、自分のほとんどの人は最低限度の生活が出来ているので、それを持ち続けることばかりに意識がいってしまい、不安や不満、怒りや嫉妬が渦巻く世の中になってしまっているのではないのだろうか?

生きるだけでもやっとの思いで、何もない時代には、それでも生かされているという現実を元にして「無いから得ようとする力」で生きることが出来る。

何不自由なく最低限度の生活ができる時代に必要なのは、「もともと失うものなど何もないという開き直りと、新しい未来をつくりたいという創造力」をもって生きることが大切だと思う。

そんなことで私もこれから失明までの期間は、徐々に見えねくなってくると思うが、見えなくなることへの不安や恐怖より、まだ見えていることやそれをサポートしてしてくれる人がいることに感謝すること。

そして見えなくなってからは、失った視力はもう戻ってこないので、それでも生きていられることに感謝し、見えなくてもより良い人生を生きるための想いや夢を大切にできることやっていこうと思います。

そんなことで、私の決意表明にお付き合いいただき、ありがとうございました。