あなたは、どれだけ自分のために生きていますか?

人には家族のため、会社のため、友人のためなど、自分以外のための時間をたくさん使っています。

それは決して悪いことではなく、人として大切な役割でもあります。

しかし私は役割の弊害のようなものがたくさんあると思うのです。

一つ目は配慮に欠けてしまうこと。

「これはあの人の役割だ」と勝手に決めてしまい次第にそれが当たり前になってしまいます。

恥ずかしい話ですが、私はサラリーマンを辞めて自分で家事をやるようになって初めて妻の役割がとても大きかったことを知りました。

二つ目は視野が広がらないこと。

自分で自分の役割を決めてしまうと、それ以外のことには関心がなくなり広い目で物事を見たり、考えたりすることが出来なくなってしまいます。

医療なんかいい例ですが、役割を細分化することでその専門性は高くなりますが、それ以外のことは関心がないどころか診もしないなんてことになっています。

私もサラリーマンの頃は父親としてお金を稼ぐという役割に囚われて、家庭のことはほとんど妻任せで関心はありませんでした。

というより、考えたり、関心を持ったりするのが煩わしいので仕事に依存していたような気もします。

そして三つ目は自立を妨げてしまうこと。

親の役割と言って子供に手を掛け過ぎることは子どもの自立を妨げてしまう事にもなってしまいます。

こうやって人生を役割中心で使ってしまう事で、最終的には依存状態となってしまい、お互いが自分の出来ることは限られたことのみとなってしまい、誰かや、何かに頼らないと生きていくことが出来なくなってしまうのです。

そしてそれは、自分だけではなく家族や周りをも巻き込んで、相依存のスパイラルに入ってしまいます。

すると様々なことを他人に責任転嫁したり、自意識過剰を生み出したり、広い視野を持つことが出来なく囚われの人生となり、日常的に平不満が出て怒りや悲しみ、そして最終的には生きることに喜びを見つけることが出来なくなってしまうのです。

とは言っても役割をすべて放棄してしまっては夫婦も家族も社会も成り立ちません。

それなので私は、人に寄りかからないように、そして寄りかかられないように自分と他人の間に隙間を作ることを意識するようにしました。

自分一人で立っているイメージです。

そして寄りかからず、寄りかかられもしないけど、必要な時には手を伸ばせば届くくらいの隙間を作っておくようなイメージを持って家族や他人とも接するようにしました。

今やっている「めぐみの会」も常にこのイメージなので、会に依存する患者さんは必然的にいないようになります。

しかしこれって結構大変なんですよね。

今って会社でも、医療でも、宗教でも、団体でも、もちろん患者会でも、依存させることで成り立っているものが殆どですから。

自立を促すという事は、手放すという事でもあるので双方が不安にもなるし、依存体質の人は他の依存先を探します。

すると依存させたいところはたくさんあるので結局は・・・・

私はこの社会はそうやって出来上がった依存社会のような気がします。

それだから、不平不満や怒りや悲しみが多くなり、生きることが楽しくなくなってしまうような気がしてなりません。

そうならないために、大切なことは「自分のための自分になること」

人生の主導権を自分の手にして、他人にもそれと同じことを促すのです。

これから目指さなければいけないのは、「自立を促す社会」

私はそれが人に優しい社会ではないかと思います。

他人を尊重できないのは、自分を尊重していないからにほかなりません。

自分を尊重するから、他人も尊重できるようになるのだと私は思います。