今週末30日(土)は東郷町富士浅間神社で初めて開催する「東郷せんげん市」を開催します。
 
この市は桜の下で音楽ステージ、マルシェ、子どもたちの遊び場など盛りだくさんで花見を楽しもうという企画です。
 
めぐみの会の和太鼓チームめぐみ和太鼓も12時から出演、12時30分からは和太鼓を教えていただいている鈴木先生とめぐみ音リーダーの臼井さんのギターとのコラボ演奏もあります。
 
14時30分からは東郷高校の吹奏楽部のパフォーマンスもありますので、お時間あったらぜひ遊びに来てくださいね!
 
詳細は↓↓です。
 
 
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では今日は、私のめぐみの会やこのような縁日の開催するなどの活動をどうしていているのか?ということを書こうと思います。
 
「手段を目的としない」
 
私はこれまでガンのことだけではなく、様々なことをしてきましたが、「織田さんはいったい何がしたいの?」
とよくいわれました。
 
そして今年からはさらにNPO法人ノーマカフェの活動を始めていくのですから、そういわれて当然なのかもしれません。
 
普通で考えれば、めぐみの会やガンに関わることを基軸にして、もっとそれをきちんとやっていけば良いのでしょうが、私の場合はガンに関わる活動は「手段であって目的ではない」から、その目的を達成するためにあれこれやっているのです。
 
七転び八起き
 
これまで色々な困難やアクシデントがあったにもかかわらず、そこから復活できているのも、常にその目的を意識して生きているからに他なりません。
 
きっと「織田さんはやりたがりなので、何でも手を付ける」なんて思われている人も多いかもしれません。
 
でも、単なるやりたがりなわけではなく、その目的を達成するための手段をあれこれやっているだけいう訳です。
 
わかり易くいうと目的という大きな“ジクソーパズル”を組み立てているようなもので、その中心部が、〝がんの活動″で、それ以外のことはそれ以外の部分。
 
何げなく手に取ったピースで組み立てることが出来る部分があれば、それを組み立てはじめ、出来なければそこに執着するのではなく、他のところを組み立てるようにしています。
 
その方が効率良いですからね。
 
だから、一つのことがダメになっても、それに囚われずに別のピースを手に取り、別の場所を組み立てることができるのです。
 
そして、いつか何処かで、そのいくつかの組み立てたピースが一緒になることがあるということを信じてあれこれやっています。
 
そしてその目的に一番近いものが、今年からはじめる「NPO法人ノーマカフェ」の活動、なのです。
 
とはいっても、それは地域を東郷町に限定した「小さな活動」です。
 
私が大切にしている言葉で「変革は弱いところ、小さいとこと、遠いところから」という言葉がありますが、これまでにやってきたことはすべて今回の活動を始めるためのもので、それをもとに小さな活動をはじめてそれを大きく育てていこうと思っています。
 
そんなことで今年からは今一度、原点に帰って大きなことは少なく、小さなことの方に焦点を当てる活動に力を入れていく予定です。
 
原点に帰って小さくということについては、また後日書きますね。
 
そんなことで、私にとってめぐみの会のか活動も目的を達成するための手段の一つと言う事なのです。
 
今という時代はなぜは、手段と目的が一緒になってしまっていることが多いような気がします。
 
そして、それが様々な不幸や苦しみを生む原因となっているような気がしてなりません。
 
子供に勉強しないと、行儀よくしないと、常識的な言動をしないと、立派な大人になれない。
 
会社の入ると、売上をつくなないと、ノルマを達成しないと、プロジェクトを達成しないと出世して良い生活ができない。
 
そして立派な大人になって、他人から認められ、出世して良い生活をおくることが、あたかも良い人生のような概念が強くなってきていて、そのために必死に頑張っている人が多いような気がしています。
 
しかし、いくら必死に頑張ったところで実際にそうなれる人も少ないし、立派な大人や良い生活といった人によって異なった概念を押し付けられて「いったい自分はどこに向かっているのだろう?」と思いながらも、やらなければ落ちこぼれたり、負け組になってしまう・・・・
 
多くの人が戦いや、逃れなどのマイナスの動機をエネルギーに頑張っているような状態ではないのでしょうか?
 
曾ての私のように、そうやって心の病になり癌という大病を患ったりなんて人が増えてっ来るのも当たり前と言ったら当たり前ですよね。
 
そして、そんな大人を見ている子供たちは・・・・
 
大人は「ゆとり世代」なんていっていますが、そうさせてしなっている背景には、イキイキ楽しく目的や夢に向かって生きている大人が少なくなってしまったという状態があるような気がしてなりません。
 
私はそうならないために、サラリーマンを辞めた時、「手段を目的としない生き方」をしていく覚悟をしたのです。
 
目的というのは現在やっていることの「どうしてそれをやっている?」の答えにあります。
 
ガンになったばかりの頃の私は、食事にしても、生き方を変えることにしても、その答えは「死にたくない!」というマイナスの動機でした。
 
しかしそれでは、ガンになる前とまったく変わらない動機で必死に頑張っていたことに他ならないと気付き、幸せを得たい、人の役にたてる人間になりたい、というプラスの動機で前に進むようにしました。
 
すると、不思議に様々なことに関心が広がり今に至っているという訳です。
 
そして、プラスの動機で得るものは無限の動力と笑顔。
 
日々やっていることはすべて大きな夢を実現するための手段のひとつなんですから、楽しみや笑顔もふえるので自然にそうなってきますよね!
 
そんなことで、皆さんも一度、手段を目的としない生き方という視点をもってみませんか?