この冊子は私がガンになって丸5年、生存率20 %をクリアしたときに書いたものです。


私自身5年生存率20%を生き長らえ、後遺症だらけの身体から見違えるように元気になれた一番のキーワードが「幸せ」だったので、小冊子のタイトルにしました。
 
そんなことで、今日は私が「幸せ」という言葉にこだわる所以を書こうと思います。
 
ガンになり5年生存率が非常に低いと知った当初は、私も普通の人と同じように不幸のどん底でした。
 
そんなとき出会ったのが以前患者会会長を務めたNP0法人がんの患者学研究所代表 川竹文夫氏の著書 「幸せはガンがくれた」でした。
 
このときはけっこうな衝撃で、「そんな事、あるはずがない!」なんて思う気持ちもありましたが、“どんなガンでも必ず治る!”なんて言っていた団体だったので入会し、この本を読んでみたのです。
 
その本には「ガンになって幸せ」と言う人がたくさんいて、その人たちは“ガンが治ったから幸せ”と言っているのではなく“幸せになったから治った”
 
そして、“その幸せはガンがくれたもの”と言っていたのでした。
 
それを知ったときから、私は「自分も必ず、幸せになる!」と決め、すべての選択を正しい間違いとか、善悪、常識非常識ではなく、その選択をして“幸せになれるか、なれないか”に変えたのです。
 
サラリーマンを辞めれたのも、その選択の結果だと思います。
 
そしてその後、アメリカ第16代大統領、エイブラハム・リンカーンの「人は幸せになろうとする決心の強さに応じて、幸せになれるものだ!」という名言を知ったことをきっかけに、心の中で思っていたことを「幸せになる!」と言葉に出すようにしたのです。
 
それはちょうどその頃、口にプラスと書いて叶うと読みますが、言葉できちんと人に言えるくらい強い思いを持って行動すれば、その思いは叶うという云れからだとの話を聞いたことからでした。
 
またそれと同じ頃、私がガンになった翌年、97才で見送った祖母の法事で親戚が集まったときに、我が家の床の間に飾ってある「人生万事賽翁が馬」という言葉の掛け軸の話になりました。



 
この掛け軸はたぶん私がガンになるずっと前から床の間に掛けられていた様なのですが、それまでの私は父を反面教師にしていたこともあって、父が住んでいる1階からは自ずと足が遠のいていたため、座敷に足を運ぶことすら、ほとんどなかったので、そんな掛け軸があることなど知る由もありません。
 
しかし、祖母の1回忌の法事はガンになって2年くらい経過したころで、父への憎しみを解くことをあれこれしていたということもあってか、今までだったら何の関心も示すことがなかったであろう掛け軸の言葉がすっと心に入ってきたのでした。
 
このときはこの言葉の大まかな意味を父が話したのですが、なぜかとても気になり後日自分で調べてみたのです。
 
すると、「人生万事賽翁が馬」という言葉は中国の故事成語で以下のような謂れからと言うことがわかりました。
 
ある賽のほとりに暮らしていた老人とその息子が飼っていた馬が逃げ出してしまったので、周囲はその親子を気の毒がったが、当の老人は「不幸かどうかはわからん」と意に介さずにいたら、逃げた馬が立派な馬をつれて戻ってきた。
 
不幸が転じて幸運となったために、人々はこの親子の幸福を感心したが、老人はやはり意に介さない。
しばらくして、息子がこの馬から転落して足が不自由になってしまったために周囲は同情をしたが、それでも老人は意に介さない。
 
その後、戦争が始まり村の若者は皆、徴兵されほとんどが死んでしまったが、息子は足が不自由なため村に残り、老人と息子が共に生き長らえ暮らした。
 
人生とかく幸運と不運が入り乱れてやってきて、不運と思われることが、あとあと幸運に変わったり、その逆もあったりと変わってきます。
 
したがって、何時が起こっても、慌てず騒がず目の前の出来ることをすることが幸せへの近道で、その鍵は不運をどのように捉え、その時どうしたらいいのか?ということを説いた名言だそうです。
 
そう思ったとき、父がこの掛け軸をどうして床の間にずっと座っていたのか?がなんとなく解ったようなきがしました。
 
父は10才のころ父を事故で失い、長男として3人の兄弟を養い一家を支えるために、中学を卒業してすぐ働きに出たそうで、そこから公務員になり最終的にはけっこうなところまで登っていった苦労人でもあったそうです。
 
私は知りませんが、たぶんその過程は並大抵のことではなかった事が想像されます。
 
そんな父にとって、たぶんこの言葉は自分の中での座右の銘のようなものだった様な気がしました。
 
そう思ったとき私は「自分も父が残して、祖母がそれに気付かせてくれたこの言葉を胸に刻んで生きていこう」と決めたのです。
 
私はガンになってから以降も、普通の人から見たら大きな災いと思うことが幾つもありました。
 
昨年の目の病や手術、視覚障がい者になったことは一般的にはそれ以来の災い7日もしれません。
 
しかし、「人生万事賽翁が馬」という言葉を胸に、ただただ「幸せになる!」という決意だけを信じて、出来ることを考えてまっすぐ前に進んできました。
 
その結果が今と言うことなのです。
 
そして、今年も、これから未来も、床の間の「人生万事賽翁が馬」の掛け軸を織田家の家訓として、幸せになるための道を歩んでいこうと思います。
 
今年一年、皆さまにとって良いことも、そうでないこともあると思います。
 
そんなときぜひ「人生万事賽翁が馬」という言葉を思い出して、これも幸せへの道だと信じて前に進んでいただければ嬉しいです。
 
そんなことで今年も一年、目が見える限りは長~い文章を書いていきますので、気が向いたら読んでいただければ有り難いです。
 
今年も宜しくお願いします。