「自分とは」
いったい自分とは何者なのだろうか?
そんなことをずっと考えながら、悶々としていたこともあった。
特にがんになった当初は、「あんなに頑張って生きてきたのに・・・」
がんになって身体も心もボロボロになり、どん底まで突き落とされ、いったい何が悪かったのか?
どうしてこうなってしまったのか?
その答えが出るはずもなく悶々とした日々が過ぎていきました。
そして、ガンになる前の自分を本当の自分ではなかったと否定することで、その答えを見出そうとしてきた結果、遮二無二新しい自分を目指して突き進んでいた時期もありました。
しかしある時、ガンになる前も、なってからもすべてひっくるめて自分だと思うようになったのです。
そう思うようになったのは、さまざまものを削ぎ落していくようにしたことで得たものでした。
解りやすく言えば、裸の自分に気付いたということ。
ガンになる前は三越という服を着ていて、その服がおかしいと思うようになり、また別の服を着ようとしたが、それもまた違和感をもつようになり、最終的に全部脱ぎ捨てたところが本当の自分だと気付いたという事です。
それを言い換えれば、自分はいつどう変わる事も思い通りにできる、即ち自由自在だと気付いたという事でもあります。
つまり、地位、身分、財産、思考、知識、感情も、すべて最初から持っているモノでもなく、すべて後付であり、なくすことも出来るし、変わる事もできるもの。
そして最終的に変わらないものは、存在しているという事と、生まれた時にあった、泣いて笑うという表現だけで、怒りや妬み、悲しみや喜びなど様々な感情もすべて後から得たものの副産物でしかないのです。
だから、その着ている服さえ脱げば人は誰も自由自在に生まれ変われるし、どんな服を着ていようと、その中には本当の自分がいるということだと思うようになりました。
それが出来ないのは、服を来ているのが自分だという単なるじぶんとは、着ている服を脱ぐことが出来なくなってしまっているだけ。
だから考えれば考えるほど、
探せば探すほど、本当の自分から遠ざかって行ってしまうという、皮肉な結果になってしまうのではないのでしょうか?
本当の自分とは、存在しているということで、足りないときは泣き、得た時は笑顔になる。
そして笑顔になれるものを得るような生き方をすれば幸せになれるし、足りないことを嘆くような生き方をすればなれない。
ただそれだけのシンプルなものが人生だと思うのです。
だから、人生が上手くいかなくなった時、辛い時、苦しい時。
そんな時はすべてを脱ぎ捨て、もう一度笑顔になれる新しい選択をすることで、新しい自分になることが出来るのです。
そして、その存在がなくなった時、もしそこに何か残っているものがあるとしたら、それ本当の自分なのではないか?と私は思います。