「生きる意味って何なのだろうか?」
 
鬱になって引き籠っていた時、ガンなって人工呼吸器に繋がれていた時、生存率が低いと聞いて死にたくないと必死になっていたときに、よく考えていたことでした。
 
しかし、その答えが見つかるはずもなく、いったい何のために生きているのか?そしてこれから何のために生きていけばいいのか?を探さなければと思い続けていた時期もありました。
 
しかし、ガンの患者学研究所入って患者会の活動を始めるようになってから、次第にそれを感じることがなくなっていったのです。
 
あの時はどうしてあんなに「生きる意味」考えていたのだろうか?と振り返ってみました。
 
それはたぶん、自分というものを感じられなくなっていた時、見失っていた時だったと気付きました。
 
きっとあの時は「今の自分が何をしたらいいのか?どうしたら良いのか?」そして「これから先はこのままで良いのだろうか?大丈夫なのだろうか?」
 
なんてことを考えることが多く「見えないから見つけたい!」という事だったと解りました。
 
ではどうして私はそこから解放されたのでしょうか?
 
ガンになってNPO法人ガンの患者学研究所に入ったことで、その原因が自分にあったと腑に落ち「責任をとる」という覚悟をしたこと。
 
そして患者会のボランティア活動をしたこと。
 
それによって薄れかけていた自分というものの存在が、自ずと認識できるようになったからでした。
 
つまり「生きている意味」を考えていたのは、今ある自分を否定したいから、過去や未来のことを考えていたとき。
 
そしてガンになり、その原因を自分の中に見つけようとしたこと、見失っていた自分というものをきちんと見直すことができ、その自分の身体や心の使い方を変えるという行為をしたことで、そこに新しい自分の価値を見つけようとしたから。
 
それと同じようにボランティア活動によって、自分の時間や労力というもの使い方に価値を見出したからなのです。
 
では「生きる意味」とはいったい何なのでしょうか?
 
生きるという漢字は人に土と書きます。
 
つまり、地に足を付けるている状態。
 
それは浮き足立ったり、舞い上がったり、膝眞ついたり、ひれ伏したりしている状態ではないということですね。
 
だからまずは自分の存在をきちんと確認し、自分の足で立つことが「生きる意味」を感じる第一歩なのではないのでしょうか?
 
そしてその自分の身体や心に価値を見出し、その時間や労力を使って出来ることをただ愚直にすること。
 
すると自分という存在に自信が出て来るようになり、自分を信じることも出来るようになります。
 
したがって、それをせずして浮足立ったままの状態で「生きている意味」なんてものをいくら探したって見つかるはずもありません。
 
生きる意味は探すものではなく、自分とその信じるものを灯りとして前に進むプロセスや結果で感じるもの。
 
それはつまり生きているという事に意味があるということなのでしょうか?

生きていれば多くに人とのかかわりが生まれます。
 
そしてその人がどんな状態でも、ただ真摯にまっすぐい生きるということをしていることが、その関わった人に必ず何かを与えているのだと思います。
 
私たち人や生き物はすべて、生きるために生きているのです。
 
そして生きる意味とは感じるものなので、探している限りは決して見つからないものだと私は思います。