お正月も終わりましたが、今年の年末年始は東京で働く娘、埼玉で働く息子も帰って来て、久しぶりの家族4人揃って過ごすことができました。

 

 去年はコロナ禍、一昨年は娘がグアマテラだったので3 年ぶりかな?


息子と娘、今は離れて暮らしていますが、我が家の家族、多分めちゃ仲が良いような気がします。

 

その理由は、家族4人がやりたいことをやり、自立して、尊敬しあっているからだと思うのです。


一番自立していないのは、もしかしたら父親の僕かも?と思うほど、子どもたちも自立してくれています。


そうなったのたぶん、ガンになったことで私が持っていた『父親像』を変えたからです。


今思い返すと、改めてあの時の選択は間違ってなかったなぁと思います。


今日はそんなことを感じながら、私の思う父親像というものを書きたいと思います。

 

「父親像」

 

私の父親像はがんになったことを機に大きく変わりました。

 

がんになる前は家族を養っていくことが第一で、その次に〝りっぱなお父さん″と人から言われるようになることが子供たちにとっても良いことだと思い、社会的な地位やお金を重要視して生きてきました。

 

だから、まずは仕事第一。

 

父親は仕事抜きでは存在する意味がないとまで思っていたのです。

 

しかし、鬱になる少し前からそんなに頑張っていったい何になるのだ?と思うようになってきました。

 

当時私は会社で管理職になり、会社での地位も収入もそれまでとは比べ物にならないくらい高くなり、ずっと描いてきた父親像に近づいていたはずなのに・・・・

 

今振り返ってみると、その理由は役割ばかりで自分が薄くなってきていたからのような気がします。

 

管理職になる前は、会社でも今のように結構好き勝手やっていたので仕事も楽しく、プライベートでも趣味だった釣りをやったり、スポーツジムに行ったりしていたのですが、管理職になると役割ばかりで仕事も人の売上の管理やコンプライアンスなどで、やりたがり屋の私には仕事自体がつまらないものに思えるようになっていました。

 

そうなるに従い、不満や憤りも多くなり徐々に酒の量も増え体調も次第に悪化し、生活習慣病の巣窟のような状態になっていったのです。

 

そんな状態になっても、それまでの父親像を崩すことが出来ずに仕事を続けた結果、まずは心のエネルギーがなくなりうつ病に・・・

 

そして体のエネルギーがなくなり癌へと進んでいきました。

 

そう思うと私は自分の描いた父親像に囚われたことでガンになったと言っても過言ではないのかもしれません。

 

そして、ガンになったことでその父親像が崩されることになりました。

 

しかし、ガンになった当初はまだ以前の父親像を取り戻そうとしていましたが、今の社会の中ではそれはとても難しいことでした。

 

管理職は解かれ、収入は半減・・・・・

もがけばもがくほど蟻地獄のように深みに引きずり込まれていくのでした。

 

当時の私は〝ガンになった原因は自分のこれまでの生き方にある“という事が解り、食事やライフスタイルを大きく変えていましたが、一番の根源となったストレスの原因は仕事にあったというところに行き着いていたのです。

 

しかし、その仕事を辞めたらこれまで描いてきた父親像も捨てなければならなく、それをしたら家族を路頭に迷わすことになってしまうと思いなかなか辞めるという決断をすることが出来ずにいました。

 

そして時がたつにつれ「こんな状態を続けていたら間違いなく再発する・・・」

 

さらには「もうこんな人生は疲れたから、再発して死んでいくのも悪くない・・・」

 

なんてことを思うようになってしまっている自分に気付いたのです。

 

私がガンになった時と同じで、このままでは潜在意識が病を引き寄せて、思い通りの結果になってしまうと思いました。

 

以前の父親像を持ち続けた結果、このまま死んでしまったら本末転倒です。

 

そこで私は、その父親像をこれまでとはまったく違ったものに置き換えようと思いました。

 

そして新たに描いた父親像は

 

「病を機に、強く大きく自分らしく生きる人としての後ろ姿を記憶に残す」というものでした。

 

子供たちに財産やお金を残すことは出来ないし、もしかしたら生活していくこともままならなくなることもあり得ます。

 

しかし私は〝生きてさえいれば何とかなる!″と思い、生きるために食うための仕事を辞める決断をしたのです。

 

また、そのころ家内が介護の資格を取り家計を支えるように生活設計をしていてくれたこともとても大きく、それが無かったら私は以前の父親像を捨てきれずに、今こうして生きていることはなかったと思っています。

 

だから今でも家内には頭が上がりませんね。()

 

こうやって私は自分の描いていた〝父親像″を変えたわけですが、常識的には以前の〝父親像″のほうが極一般的で当たり前のものです。

 

したがって、私が自分勝手に変えてしまったことは子供たちにとって、家内にとって良かったのだろうか?という思いがよぎることがこの10年間多々ありました。

 

しかし、そのたびに「それを決めるのは後悔を残さないような、今を生きること」

 

「自分らしい今を生きることを、死ぬ寸前まで続けることが出来たら、必ずその生きざまが記憶に残り、いつかそれが生きている家内や子供の役に立つようになる

 

なんて自分に言い聞かせてきたのです、

 

自分でも本当に自分勝手で我儘だと思い、子供もお父さんは普通ではないと言い切ります。

 

また私自身も自分の生き方としてはこれでいいと思っていますが、父親として子供にはどうなのか?という不安は少なからずあります。

 

そんななか、先日の誕生日に子供から「お父さんを見ていると何でもできる気がするので、自分もやりたいことやるね」なんてメッセージをもらいました。

 

子供たちに〝小さくまとまって生きてほしくはない“と思っていたので、とても嬉しく思った反面、どこまで飛んでいくのかという心配もあり、なんか複雑なところはありますが、こんな父親の子供だから致し方ないなぁと思い納得。

 

先日「自分らしい今を!」なんてタイトルの本も出版してしまったので、これからもそんな生き方を貫き通すことで、一人の人としての生きることで、父親としてお金や財産は残せませんが、生き方という資産をのこすということが父親として私ができる役割だと思っています。

 

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本当に親の身勝手ですね。