先日、ある方から「織田さん、良く毎日あれだけ書くことあるねぇ」と言われました。

また、そう思っている方はたぶんたくさんいるような気がします。

でも、そんなに大変とは思ってはなく、けっこう楽しんで書いてます。

書くことで自分なりの気づきもたくさんあるので、自分自身にとっても必要なこととなっているのです。
 
しかし、書いていることは私の本音でもあり、それをこのようにたくさんの方にお読みいただくのは、私でも結構勇気がいることです。
 
人の考え方や志向のパターンは100人いれば100通りのものがあり、私の書いたことに共感する方、それは違うのでは?と思われる方、そもそもあまり関心が無い方など受け取る人の解釈は様々なものがあって当然だと思っています。
 
したがって、私は自分以外のことに対しては、あまり「あれが良い、これが悪い」ということは言わないようにしていますし、それ自体が良いことだともおもっていません。
 
ただ自分の思いや考えをアウトプットしているだけ。

そして書いているなかで大切にしていることが
「自分の領域を守る」ことです。

今日はそれがどういう事なのかを書こうと思います。
 
ガンに限らず今の時代は情報が氾濫していて、その情報の数だけ正しさや良い悪いなどもあります。
 
例えば○○療法という情報があったとすると、その治療が良いものか悪いものか?そしてそれをした方が正しい選択か否か?等々。
 
人にはそれぞれ考え方や、好き嫌い、そして体質などもあるので、その人なりの答えを持つことはとても大切なことです。
 
しかし、それを他人の領域にまで足や首を突っ込み、あれこれ言う人がとても多いような気がします。
 
そういう私もかっては、抗がん剤治療は悪いもの、何ごとも凡事徹底することが良いことという自分の考えを他人に領域にまで踏み込んで主張していました。
 
どうしてそんなことをしていたのだろうか?と当時の心を振り返ってみました。
 
するとその理由は自分の領域に自信がなかったり、満足していなかったからのような気がしたのです。
 
だから、正しさを証明するために同じことを主張する仲間を作りたくて他人の領域に土足で踏み込み、相手が理解してくれず思い通りにならないと「あの人は良くならない」なって誹謗中傷をすることで自分の存在意義を見出していたような気がします。
 
自分の正しさを主張し出すと、そこから湧き起こってくるのは、“なぜ、どうして、解ってくれない、などの憤り”、“間違っている、許せない、こうあるべきだ、などの怒り”でした。
 
さらに同種の人が集まることで、正しさの主張をして、たくさんの中の自分に存在価値を認めるのです。
 
私は、そんなことをしていて、徐々に違和感を感じるようになりました。
 
正しいって何なのだろうか?
 
正しくないといけないのだろうか?
 
人の行動は誰でも根底には、「正しのでは?」という概念があるからこそ生きていけるもの。
 
だから、人の数だけ正しさはあるのだ。
 
キャラバンで全国を一人で回って、たくさんの患者さんにあって行き着いた結論でした。
 
それからの私は、自分の正しいと思っている領域をきちんと作り、他人の領域には踏み込まない。
 
そして、自分の領域に確信を持つための行動をして、その結果や想いをただアウトプットすることにしたのです。
 
このメルマガもその一つ。
 
それなので、ここで書いていることは自分の領域のことで、皆さんに私の言っていることが正しいのだと主張する気はありません。
 
ただ織田という人は,こんなことを考え行動している人だという情報を発信しているだけなのです。
 
すると、織田の言っていること間違っているという他人の領域に踏み込んでくる人へのバリアにもなって人間関係も楽になります。
 
そんなことで、あなたに憤りや怒りが多いようなら、ぜひこの自分の領域意識してみてください。
 
貴方の人生での言動はその自分の領域をきちんと作るための手段であって、他人を思い通りにするためのものではないのです。