「ありのままに♪」
アナ雪でブレークしたフレーズだが、私もサラリーマンを辞めてから「ありのままに」生きようと心掛けてきた。
「ありのままに」言葉で書くとそんなに難しいことでもいないように感じるが、実際にやってみるとこれが結構ハードルが高い。
「ありのままに」とは、他人の目を気にせず〝自分を隠さない“ということ。
また、起きた出来事を〝受け入れる“ということでもあると思う。
私の最初の「ありのままに」は、癌になったということを隠さず、癌という病にかかった自分を受け入れるということだった。
多くの人は自分にとって悪いことを隠そうとする。
隠すということは、心のどこかに疾しいとか、悪いことだという気持ちがあるということに他ならない。
そして、いったん隠すとずっと隠し続けなくてはいけなくなってしまう。
また、「今はまだ」もう少し落ち着いたらと先延ばしもしたくなる。
しかし、隠しているという後ろめたさがある自分、つまり仮面をかぶった自分が生きている人生は自分の人生とは言えない。
なので、そこから先の人生は自分が決めた〝悪い“という方向に向かって進みだすようになる。
さらに、そんな最悪の意状態になった自分を、自分自身で受け入れられずに病から目をそらして生きていたのではそこに自分という実態がなくなり影のような存在になってしまうのではないか?
私は『癌になって、身体もボロボロで、いつまで生きられるかもわからない、弱くて、小さくて、消えそうな自分』を隠さずに「ありのまま」生きる決意をした。
そして一旦は会社に復帰し徐々に体力も回復してきていたが、もしこのまま続けていたら、がんになったことに負い目を感じ〝ありのまま“で生きられなくなってしまうと感じ1年半後に退職をした。
そこから先は「がんになったからできること、何もない小さな自分でもできる小さなこと」から始めそれを少しづつ大きくしようと思い行動に移したのだ。
もし、あのままサラリーマンを続けていたら、きっとがんになったという過去を取り払うために躍起になって頑張りすぎて体調も悪化していただろうし、心には一生後ろめたさが残り、自信もなくなり自己評価もさらに低くなっていたような気がする。
そして織田英嗣=がんになり、身分も地位も保証するものは何もない一人のちっぽけな人という〝ありのまま″からスタートすると、それ以降 行動したことはすべて〝隠しだてのない自分″として自信をもって生きることができるようになり、に心にやましいことも、余計な心配もなくなり、いつも胸を張って生きられるようになったのだ。
そんな自分の人生を振り返って、人間はどんな状況に陥ったとしても、生きている限りは自分の体と心はそこにある。
だったら、どんなに小さくても、汚れていても、ボロボロだったとしても〝そこにある“ということ事体に自分で価値を見出すことができれば可能性は無限大に、そして無敵な環境を自ら作り出せるとなのだ。
大きなアクシデントに陥ったときこそ、これまでに纏ってきた偽りの仮面を脱ぎ去り、〝ありのままに“生きるようにできる大きなチャンスでもあると私は思う。
そしてこれからの私は目が見えなくなってきます。
そうなると必然的に現在のようには動けなくなります。
するとたぶん、これまで行動で隠されていたありのままの自分が見えてくるし、それに向き合わなけれいけなくなります。
そこには一体どんな「ありのままの自分」がいるのか?
ちょっと不安でもあるけど、この年になってその見えない世界の中での自分の生き方はどうだったのか?
そして自分はいったい何者なのか?
などが見えてきて、この先をどう生きるか?を考えられる、人生のエピローグの幕開けにしたいと思っています。