人はなかなか今までとは違った行動はできない。
それは今まで違った行動をすると、今までと違った結果が出るから。
と書くと、今までと違った結果を出したいのであれば行動できるのでは?
と思うかもしれないが、それはそうは簡単ではない。
頭で考えるとその通りであるが、行動を司る脳は安心安全をもとめるという自己防衛本能がある。
今までと違う行動は脳にとっては未知の世界なので、何が起こるかを予想できない。
同じ行動をしていれば、大方の結果は予測できるし身の危険も少ないと判断してしまう。
今の状況がどんなに悪くてでもだ!
身の危険を犯すより、慣れ親しんだ不幸のほうが脳には安心安全なのだ。
だから、人間はどんなに状況が悪くなってもなかなか行動することができない。
そして考える。
これがまた行動をできなくする大きな原因だ。
考えれば考えるほど、脳に危険さをアピールすることになってしまう。
私が癌になった時がそうだった。
「このままではいけない行動しなければ・・・・・でも本当に「それでいいのだろうか?」
「仕事を辞めなければ原因は取り除けない・・・・でも、どうやって家族を食わせていくのか?」
考えれば考えるほど不安はましてしまうのです。
その連鎖から逃れるため、私は思考の向こう側に行動を飛ばすようにした。
つまり、どうしたいか?と行動の間に「思考」を入れないようにしたのだ。
もはや、〝やけくそ”といってもいい(笑)
でも振り返るとそれがうまくいった一番の理由だと思う。
最初は良くないことが起こったかに見えても、それは表面的なことで結果としては良かったとあとで思えることがほとんどだった。
うまくいかないとき、何か障害にぶち当たったとき考えずに、感じたままに行動したり、発言したりすることで、きっと何か新しいチャンスが芽生える。
行動しなければ、何もめぐっては来ない。
私の、この教訓は今でも生きている。
だから視覚障がい者になり、失明にむかっていても、あれこれ考えずにそのときのために行動ができるのだ。
見えなくなってからこことは、あれこれ考えない。
行動さえしていれば、考えた通りにはならない。
いつくるか?どうなるか分からないことは計画を立てない
その時どうなるか解らないので、目標は作らない。
そしてまずは行動。
そして妄想を語ること。
妄想は行動を促し、楽しくさせる。
こうやって見えなくなっていく自分のことを書いているのも、ほぼ妄想であり、自分に言い聞かせているだけ。
しかし妄想を語ることで、その状態を脳にインプットでき、行動にもつながる。
私はそうやって妄想まがいのことをアウトプットしてきたが、これがいい結果を生んでいるような気がするのだ
だからこれからも、書けるうにはこうやって書いていこうと思っている。