すがんになった当初はがんは“命を奪うもの“だと思い、その恐怖に慄いた。
しかし、がんと闘うことや逃げることを止めて、向き合った時、がんは私に色々なものを与えてくれるようになった。
がんは真っ暗闇のなかを転びながら進んでいる私に、後ろから灯を渡そうと追っかけてきてくれていたのだった。
最初は何か得体のしれないものが必死で追いかけてくると思い、転びながら必死で逃げていた。
しかし、勇気を持って立ち止まって振り返った。
すると、がんは私に明るい灯を手渡してくれたのだ。
そんな経緯を経て、私は〝奪う″ことと〝与える″ことは対になっていると解った。
与えるために奪うというのが自然界の法則のような気がするのだ。
自然は私たち人間から命やこれまでに築いたものを一瞬にして奪ったりする。
それにはすべて「何かに気付け!」というメッセージを与えてくれいてるような気がするのだ。
河川の氾濫は肥沃な土地を与えたりもする。
人の命は永遠ではなく、明日どうなるかもわからない。
だから生きてる今を大切にする。
そした、それに気づかなければ、また奪われる。
がんも同じようなものだと思う。
ではがんは私たち人間に、何を気付け!と言っているのか?
私たち人間は、何もしなくても生きるためには多くのものを奪っている
命、自然、時間・・・・
他のものからしたら、私たち人間は「がん」のような存在のものではないか?
でも、がんのような存在だとしたら、奪うだけで何かを与えなければ存在意義はない。
だから、自然界やがんが私たち人間から多くのもの奪い続けるような気がする。
それを止めるためには、何かを与えるという気持ちが必要ではないのか?
つまり「利他の心」
現にがんから生還した人の多くは癌になったことで「利他の心」を持つようになったという共通点があるではないか?
そんなことを思うと、これまで様々なものを奪うだけ奪って、何も与えようとしてこなかった人間を救うのは〝奪うより、与える″という気持ちに他ならないと思う。
だから現在の緑内障も失明も『視野や視界を奪われる』のではなく、今までとは違う世界や生き方、そして新たな人生を与えてくれると信じて、障害ではなく資源として前に進んでいくのだ‼️😃