おはようございます。 


一昨日3月21日は春分の日、冬と春の「節目」となる日でした。





節目とは人生の流れを変える、もしくは流れの変わる大きな転機。





私たちの人生は節目の連続です。





しかし、毎日が忙しすぎてその節目を節目として捉えられなくなってきているような気がします。





一日の節目の就寝と目覚め。





季節の節目の節句





一年の節目の年末年始





 そして冠婚葬祭など人生の節目


そんな節目を迎えられることは決して当たり前ではありません。





しかし以前の私を含めて多くの人はそれを当たり前どころか、無意識に時を過ごしてしまっているような気がします。





節目というものは、〝終わり、始まる”ということ。





それはすなわち、節目を迎えられたという喜びと、次の節への希望。





そして始まりがなくなった時が死なのです。


私はそんな術後人工呼吸器に繋がれ身体を切り刻まれ食道や胃、50以上のリンパ節を取られたとき、この人生の最大の節目となりました。


だからこそ私は節目を大切にしなければいけないと思っています。





それが自分を大切にすることに繋がるような気がして、私はこの節目を大切にして体と心の疲れを癒し、新しい節に向けて体と心を充電する時期としてゆっくり過ごすことにしています。





しかし、多くの現代人はそんな節目も忙しく「独楽のような生き方」をしているような気がするのです。





もちろん私もガンになる前は独楽のような生き方をしてきたなぁとつくづく思います。





独楽のような生き方とは「回転が遅くなると倒れてしまう」よう生き方





私はこれまで独楽は回っていないと意味がないと思っていたが、最近〝回っていなくても独楽なのだ″ということがやっとわかった。





回っていても独楽、止まっていても独楽





止まった時には、回っているときに見えない独楽の柄や色が見える。





もしかしたら止まっているときのほうが独楽自体の個性も見えて、独楽らしいのかもと。





そう思うと、周りは一生懸命回っている独楽ばかり、





独楽自体の個性も、特徴も見えなくなってしまって・・・・





止まったら終わりだと・・・・




回ったら止まるのが独楽。





回り続けることはできない。





独楽も人生も〝回し続ける″ではなく〝回すこともできる″ということで良いのでは!


目が悪くなったこともあり、最近そんなことを思っています。





 この令和の時代





「令」という字には、清らかで美しい、おめでたい、喜ばしいという意味や神さまのお告げなどといった意味もあるそうです。





そして「和」はなごみ、やわらかな、しなやかな、穏やかななど。








それはたぶん、もう独楽のような生き方はやめにして、 「令」と「和」という字の意味を考えてみては?という神さまのお告げではないかと思うのです。