「がんって執行猶予つき判決」


10年ほど前、食道ガンの手術での後遺症のダンピングによる低血糖で昏睡状態になり、救急搬送されたことがありました。


低血糖発作は今でも年に何度かありますが、その時は発見してもらったときには、けっこう冷たくなっていて、発見があと1時間遅かったら死んでいたかもしれないと言われました。


もしあのまま死んでいたら、不安も、痛くも、苦しくも、死への恐怖もなく死ねたが、家族や知人とは何の前触れもなく突然の別れ、思い残すことも多々あるし、やり直しもきかずにあの世行きだった。


私の場合は、いつ死んでもいい生き方を心がけてきたので、もしあのまま死んでいたとしてもそれはそれでこの人生に納得はできたような気はするが、最後はきっちりお別れをいいたいし、自分のやってきたことを振り返って良い人生だったと名残を楽しみながら逝きたいという夢は叶わなかった。


しかし、もしそれががんになる前の出来事だったら、きっと死んでも死にきれなかっただろう。


以前から思ってはいたことだが、今回の自分でこのような経験をして改めて「がんは執行猶予」だと思った。


これまでの自分の体や心の使い方を変えてきちんと更生すれば、がんになったという病歴は残るが、新しい人生を送ることができる。


しかし多くの人は、更生をせず同じ道を歩んだり、執行猶予付にも関わらず有罪となったことに絶望をして自暴自棄になってしまうのだ。


仮に犯罪を犯したとしても執行猶予がつけば判決が出さえすれば、そこから後は自分次第でどうにでもなるということだ。


ましてや、がんには罪なんて何もないので、これから先は自分次第で自由自在ではないか?


比喩の仕方はあまり良くないかもしれないが、ようは執行猶予付き判決をどうとるか?と同じことだと思うのだ。


癌という病は突然、死を意識しなければいけないから他の病や事故などに比べれたら恐怖や苦しみも多いかもしれない。


しかし私は、今回のことのように何の前触れもなく、死ぬこともわからず逝ってしまうより良いような気がしたのだった。


言い換えれば、生きているから不安や恐怖があるともいえるのではないのか?


不安や恐怖があっても、生きていることに喜びを感じることができるか?


不安や恐怖もなく、生きていることに喜びを感じることができるのか?


大切なことは、現実をどう捉えたほうがこれからの人生、そして今が幸せだと思えるか?ということのような気がします。