あれが欲しい、これが欲しい!

以前の私は常に何かを欲していました。

今振り返ってみると、その理由は「自己犠牲の見返り」だったような気がします。

自分の持っている「時間」「お金」「家族」等を犠牲にして毎日を過ごし、こんなにまでしているんだから当然得るべきものは得なければいけない。
得るべきだ!と無意識のうちに思っていました。

とはいっても、そうは思うようにはなるはずがありません。

その結果、常に不満や不安が沸き起こり、さらに欲の炎はめらめらと燃え広がっていったのです。

そして癌になった当初も同じように、自分の大切な時間やお金を使っているのだから、健康を得なければいけない。得られるべきだ・・・・・・

しかしあるときそれは結局癌になる前の心とまったく変わっていないことに気付きました。

一所懸命生き方を変えたり、身体に良いことしても心のざわつきは以前と同じだったから。

それの気づいたのは、患者会のボランティアをはじめてことがきっかけです。

最初は患者会に入れば何かが得られるかも?と思いました。

そしてその中に入ってみると、癌にも関わらず生き生きとしている人が何人かいたのです。

この人たちはどうして?自分と同じようなことをしているのいに何が違うのか?

色々話を聞いていて行き着いたのが「心のあり方」

私を含め多くの患者さんはまずは見返りとして”癌が治る”という見返りを求める心で毎日を暮らしている。

なので、ここまでしているのに何で良くならないのだ?いつになったら・・・・・

これでは不満と不安が交錯して心は落ち着くはずはありません。
イコール=良くならない

しかし、生き生きとしている人は、同じことをしていても、自分の時間やお金を自分の身体や他人のために使っている。

自分が今までに何年もかかって経験したことを惜しげもなく他人に話したり、さらには世間にたくさんいる患者さんや予備軍の人たちにもメッセージを発していました。

そして、お手当てや食事療法も、今まで散々痛めつけてきた自分の身体へのいたわりの気持ちが先にあるので、癌が治るのを見返りとしてではなく、結果として受け止めていたのです。

なのでこの人たちは何時でも笑顔で元気でいられるのだ!

私は、今まで自分にも他人にもなにも与えずして、受け取りたいと思うことで我欲を生み心が乱れてたことに気付き、患者会でのボランティア活動をはじめました。

すると不思議なことに心が軽くなってきたのです。


また、今まで苦しんできた欝の症状もどんどん消えていきました。

患者会時代、「利他の心が病を治す」という話をすると、ほとんどの方は「それは良くなってからだ!」「あなたは元気だからそう言えるんだ!」と反論をされました。

しかし私は元気や健康というものは、頭で考えるのではなく行動の結果だと思います。

そしてその行動とは元気や健康を得るためではなく、自分や他人に暖かな気持ちを与えることで結果として得られるものだと思っています。

ただ、ただ、自分の心が温かくなることをイメージし行動に置き換える。

すると、不思議なことに体は良くなってしまうのです。

それは本当か?

と考えることこそが、すで見返りを求めていることなんですよ
(笑)