昨年から地元東郷町でNPO法人ノーマカフェの活動を始めたが、地元の長のような人たちはこの活動を、「織田さんは自分たちの活動を知らしめるために、地域を使っている」などと言われた。
 
私はそれは間違ってはいないと思う。
 
でも自分の為、自分たちの為という側面があってないがいけないのかとも思うのだ。
 
今日は私が思う、自分の為、そして人の為ということについて書こうと思います。

 

人の為と書いて〝偽り(いつわり)”

以前、あいだみつをさんの作品を見たときには、その意味がよくわからなかった。

しかし、今はまさしくその通りだと思うようになった。

私自身、がんになって様々な活動をしてきたが、その動機は頂いた命を人のために使おうとおもっての行動だった。

しかし、次第に「こんなに一生懸命にやっているのに・・・・・・」と見返りを求め

「どうしてわかってくれないんだ」と憤りを覚え

結局はこれまでの自分の人生を否定して、自分は変わったということを証明するために〝人のため”といっていたのだ。

そして、人のために行動している自分に酔っていた。

そんな行動をしていた結果、〝自分”が薄れてきた。

他人のために自分を犠牲にする。

他人の力になるために、自分も頑張る。

そうやって、知らず知らずのうちに自分の体と心に負担をかけていたのだ。

思い返すと、ガンになる前とあまり変わっていなかった。

そんな時、体調を大きく崩した

 

北区で始めたカフェ めぐみえんの閉店前後の時期だった

よもや再発?????頭によぎった

原因は頑張しすぎて、自分の体を酷使し、人のために良いことをしているという自己満足による過信だった。

結局は地に足が着いていないので足元が揺らぐのは当たり前。

そんなことがあって、まずは自分を大切にして、自分らしく生きることが先だと思った。

一番身近にいる自分のために生きることを真摯に見つめた時に、他人への感謝の気持ちが湧き出て、そのお返しのために今の自分にできることを考えて実行することにした。

他人のために行動をして見返りを求めるのではなく、自分のために行動をしてお返しをするのだ。

私は今はこんな言葉を胸の中に生きている。

「自分のため(を大切)に生きなければ生きてゆけない。人のため(を大切)に生きなければ生きている資格はない」

どれだけ自分を大切にして磨くかで、他人のためにできることも増えてくる。

だから無理にしなくても、そのときどき出来ることをすれば良い。

というより

自分のためと思ってやっていること=他人のためとなってしまうような生き方を選択すればいいのではないか?

たぶんそれが一番自然だとおもうようになった。