健康とは?

WHOでは病気ではないとかではなく、体と心、そして経済的にも満たされた状態と定義つけられている。

でも、この定義を満たす人ってどの位いるのだろうか?

もしかしたらほとんどいないのでは?なんて思う。

そうなってしまう原因として、私は「満たす」という言葉の理解の仕方にあるような気がする。

多くの人は「満たす」とはコップならいっぱいに水が入っていることをイメージする。

体の健康といえば、病はなく肉体的にも万全な状態。

心の健康といえば、ストレスも悩みもなく安定した精神状態。

経済的健康といえば、持ち家があって、貯蓄もあり老後も安心な状態。

などをイメージするだろう。


そんなこと全部が満たされて状態なんてあるはず無いから、どんどん健康からかけ離れていってしまうのだ。


私も正しくそうなった。

どうしてそうなったか?

私の場合は経済的健康を優先しすぎたからだ。

経済の健康のコップに水をいっぱいにしようと躍起になることで、体と心のコップに水がどんどん減っていった。

癌になってけ体の水が残り少なくなったことにやっと気づきここも躍起になることで、経済の水が減り、心の水はさらに減り続けて、、、


こうなると健康なんて言葉は私の中から消し去られたのだった。



コレではいったい何を求めているのか?


私は「足るを知る」という教えを受け、心のコップをいっぱいにしようと決めた。


そしてわかったことは、心のコップをいっぱいにするためには、体や経済のコップをいっぱいにしようとしてはいけないということ。

体や経済のコップの水は年齢を負うに連れて必ず減ってくる。

そしてその減った状態を「なくなった」と捉えるか「まだ残っている」と捉えるかで、心のコップの水の量が増えるのだ。

さらに心の水がある程度まで増え出すと、増えるなんて思ってもいなかった体や経済のコップに水がどこかから流れてきたり、沸き起こってきたりする。

体や経済のコップの水はなかなか自分では増やすことはできないが、心の水は自分の心の持ち方である程度は満たすことができる。

私はガンになり5年生存率20%と言われたが、一度はもうダメかと思ったが5年間は20%の確率で生きることができる。


それなら大きな手術で失ったものに目を向けるより、0から生活習慣を見直し体を鍛えることで健康に近づくことに喜びをみつけよう。

サラリーマンを続ければ収入が減ったと常に感じなければいけないが、やめて無職になれば0から増えてと感じることができる。

そして現在、残っている視野は残り僅かだか、まだ見えている。


視覚を失っても、他の感覚を活かして0からできることを増やしていく。


なんてむちゃくちゃなことを考え、行動したおかげで心のコップが満たされて、体のコップの水がふえだした。


あとは、経済のコップだが・・・・・

まだ枯渇スレスレで、沸き起こってこないな~(笑)

まぁ、期待すると不安や怒りを生むので、少しだがちょろちょろ入る流れができてきたことに喜びを感じることにしている。

ようはコップに水をいっぱいにすることが真の健康になるための条件ではなく、コップに水が入っていることをどう捉えるかだと私は思う。

つまり、体や経済の健康を優先して満たさなければいけないと思うから、心のコップの水が減り健康ではなくなり、病になるということなのだ。