私はガンになり術後は身体もボロボロ、体力もヘロヘロになってしまったことをきっかけに肉体改造をしようと思い立ち、筋トレやランニングを始めました。

 
週5.6日は朝5時に起きて、ストレッチをしてからウォームアップの筋トレ
 
そして7〜10kmのランニング

その後、メインの筋トレを7時30分頃まで
 

そして、19年後の現在、目が見えなくなりランニングはできなくなってしまったが、ストレッチ、縄跳び、そしてホームジムで筋トレと1時間ほどは身体を動かしている。






たぶん普通の人からみたらクレージーですよね(笑)
 
でもドMの私にとっては、この苦しい運動こそが楽しみなのです。
 
 
今日は私がガンになった後、若かりし頃にもどりこんなドMになった経緯と理由を書こうと思いますので、ちょっと付き合って下さいね(笑)
 
 
楽しいことと苦しいこと

どっちがいいか?と言われれば多くの人は楽しいことだと思う。

現に私もそうだ。

しかし、私は楽と苦どちらをとるかと言われれば私は苦を選ぶ。

その理由は苦が人間を成長させるから。

さらに言えば楽は人間の成長を止めてしまうと思うからだ。

私たち人間は常に苦から逃れるために生きている。

息をちめていると苦しいから呼吸をして、動かないと苦しいから行動する。

私はその実感を人口呼吸器を付けられて初めて得た。

苦しいから呼吸をしようとしても自発呼吸では酸素が足らない・・・・

ずっと寝ているのは苦痛だったので、動こうとしても首を固定させて横をむこともできない・・・

排泄を我慢するのが苦しいからトイレにいこうとしても動けない・・・・

結構長い時間大きい方は我慢したが・・・・・・・・(笑)

そして、これらの苦から解放されたとき、とても楽になった。

その反面、このままこの楽から一歩踏み出さなけれな自分の人生は終わると思ったのだ。

私は人工呼吸器が取れた翌日から自力で歩きトイレに行った。

5日目には胸腔ドレーンも取れたので、病棟内を1万歩歩きはじめ退院の日まで毎日続けた。

首、胸、腹の切り口は痛いし、息は上がるしと苦しかったが、このままだったら永遠に苦しい思いをするような気がした。

今の肉体の苦しさの向こう側に、未来の楽しさを見出したのだ。

今の楽をあのまま続けていたら、心はずっと苦しんでいたような気がする。

私はそんな経験から、楽とは苦がなくなることでしかなく、楽が苦を与えると思うようになった。

大切なのは苦の向こう側に楽しみを見つけること。

苦の向こうにしか楽しみはないということを知ることだと思う。

ここで間違えねいで欲しいのは、苦と苦しみは違うということ。

苦とは現象でしかないが、苦しみは自分が作り出すもの。

私の事例で言えば、苦は切り刻まれて動くと痛い体の状態で、苦しみはその状態を以前と比較したり痛みの恐怖や逃れたいと思う自分の心の状態だった。

私はこの苦という現象の向こう側に楽しい未来を見つけることで、苦しみが薄れていったのだ。

その結果として得たものは、楽ではなく楽しみだった。

薬という字は、楽になる草とかくが、薬によって得た楽に浸ることで、苦しみを得ることが多いような気がする。

私は術前抗がん剤を使ったが術後は断った。

あのまま安心を求めて使っていたら・・・・・・・・

だから、薬からも病院からも離れるという苦を選んだ。

その結果が今なのだ。

どっちが良かったのか?の答えはないが私は今楽しく生きているということだけは間違ってはいないような気がする。