光と影は両極のような気がしますが、必ず同時に存在するものです。

光がなければ影もありません。

影があるのは、光があるからなのです。

しかし、私たち人間は光に向かて進んでいる時には影を見ることはできません。

立ち止まったり、振り返ったりした時に自分の影に気づきます。

しかし光に向かって進んでいても、自分の影は見えませんが他人の影は見えてしまうから厄介なのです。

自分の前を歩いている人の影はなおさら良く見えるし、自分の光を遮ってしまいます。

これとは逆に、後ろから来る人には自分の影が見えるし、その人の光を遮っているのです。

これは今の社会の図式のような気がします。。

優越を付け、競い合って、明るい光りに向かって我先に前に進もうとしているのです。

すると必ず前の影が気になり、自分の後ろにもあり人の光を遮っている影には気が付くこといはできません。

自分だけが光を求めて右往左往・・・

そんなことして見つけた光に何の意味があるのでしょうか?

人と人が横にならんで手をつなげばこんなことにはならないのです。

他人と自分の影が一緒になるし、前に進んでも影はない。

それは人の悲しみや苦しみといった影の部分をも共有するということ。

すべての人は光に向かってすすみ、その後ろには必ず影があるのです。

それを理解し合うことが手をつなぐということ。

同じ思いや、強い者同士、弱い者同士、強いもの弱いものが手を携えるというものではないと思うのです。

大人も子供もお年よりも病人も、すべての人の影をつなげて一つになれば、きっと何かが動き出します。

私たちは光だけでなく、影も共有しながら、未来という光に向かって進むことが大切なような気がします。