16年前のこの6月、26年間働いた(株)三越を辞めたが、その決断をしたときもうひとつの決断もした。


それは絶対にサラリーマンには戻らないということ。


組織に依存して生きることを絶ったのだ。


サラリーマンはなんだかんだ言って会社という組織に依存をしている。


それは決して悪いことではないが、私は知らず知らずのうちにそれを当たり前だと思っていたし、その看板を自分自身のもののように考え違いをしていた。


あたかも当然の権利のように。


まぁ、自分の時間や思いを削っているのだからその見返りとしては当然かもしれない。


しかし私は思う。


最初にあるべきは、他が何をしてくれるかではなく、自分が何ができるか?だと


またその気持ちがないと結局はサラリーマンに逆戻りか、戻らないにしてもうまくいくことはないと思ったから、絶対に戻らないと決断をしたのだった。


そうなると、何をしてくれるか?という心は自然となくなると思った。


そして、必然的に自分には何が出来るか?を増やしていかなければいけない環境が出来上がるような気もしたのだ。


自分に何ができるか?という心は自分がどうしたら役に立つのか探す行為。


それなので常に自分が何を出来るのかを模索していないといけない。


今のままの自分では対応できないのだから。


それは自分の可能性を広げ、未来も広げていく。


あれから16年、そうやって生きてきた。


以前の私は何をしてくれるかをまず考えていた。


それが人間の可能性も未来も奪っていくのに。


そして不満や怒りをも生み、そして癌になった。


しかし、そこから幸運にも蘇ることができた。


その一番の理由は、16年前の決断があったからだと思う。


それからの16年間を振り返って、私たち人の持っている可能性は誰しも無限大だと思うようになった。


そしてそれを阻んでいるのは、依存する心。


しかし、それを断ち切ることが出来れば、できることは自ずと増え、無限大となる。


そんなに大きなことをしなくても、まずは小さなできること、できたことをこつこつと増やしていけばいいのだ。


そんなことで今は、視覚に依存することをやめて、訓練に通ってできること、できたことを一つずつ増やしている。