来週、10月6日(火)は10時から、zoomでの織田英嗣の生き方講座「ピンチをチャンスに変えるには」を開催します。




先月出版した「ガンからの贈り物~人生チャンスのつかみ方~」の内容を経験を交えながら深掘りしていこうと思っています。



私は癌になってから出来るかぎり主体性を持って生きるようにしている。

私の思う主体性とは〝周りの状況や環境にとらわれずに自分の意思で選択をしてその結果に自分で責任をもつこと”です。

私は癌になる前も主体的に生きてきたつもりでした。

しかし、どうして癌になったのか?を考えたとき本来の自分の意思とは違った選択をしてきたことに気づきました。

仕事をして給料を貰う代わりに、自分の意志にそぐわない事もやってきて、それは会社の指示だからとか家族のためだとか言って責任を回避していたのです。

それなので私はどんなことでも「自分で決める」ことにしました。

そして決めたことは実践、実行する覚悟をしました。

最初に決めたのが「生き方を変える」ことでした。

しかし一言で生き方を変えるといっても何をどう変えればいいのかなんてわかりません。

なので、まずは「捨てる」ことから始めました。

今までのライフスタイルや考え方をいったん白紙に戻して、今までとは違う行動をしたり、考えたりすることにしたのです。

決断とは決めて断つと書きますが、何かを決めるには何かを断たなければやることが増えるばかりで余計に負荷がかかってしまいます。

会社を辞めたのも今までの人の流れを一旦断つためです。

人付き合いや人間関係も残っているとそれを頼ってしまい主体的に生きられなくなってしまうと思いました。

今までの自分を知っている人は、当たり前の事ですが以前の織田として接してきます。

すると、いくら自分の意志で選択をしようとしても流されてしまうのです。

同じ環境にいると人はなかなか変われないのです。

というより、変わりたいと言いながら本当は変わりたくないから環境や人間関係は変えないのだと思います。

どうしてそうなってしまうか?

私は自分の意志で選択はするが責任は自分に環境や人のせいにできるからではないのでしょうか?

振り返ってみると私もサラリーマン時代はこれだったなぁとつくづく感じました。

それは、主体的ではなく、自主的だったんですね。

なので今私の周りにいる人で以前の私を知っている人は学生時代親しかった友人ごくわずかと、最近FBなので縁が復活した人がわずかにいるだけです。

それなのに今これだけ多くの人に支えられて生きていられるのは、自分の言動に責任をもち、結果を1からではなく0から積み上げてこ来たからだと思います。

覚悟(悟り目覚める)⇒決断(決めて断つ)⇒自主的に行動⇒継続または変化⇒結果(責任を取る)⇒信頼というプロセスこそが主体的に生きるということではないのでしょうか?

主体的か自主的かの違いは、〝1”からの決断か〝0”からの決断か、そして自分が全責任を負うという要素が含まれているか否か違いのような気がします。

この本にもそのあたりのこと書いていますのでぜひ、読んでみて下さいね😃