様々なところで〝社会貢献”という言葉を耳にするが、その多くは看板であってその中身とは別物となってしまっているような気がする。

私が以前働いていた企業も「社会的貢献と企業の繁栄」という企業理念があった。

これは、社会的貢献をすることと企業の反映は同じものだということ。

しかしその中身は、企業の反映なしでは、社会的貢献はできないという意識になってしまっていたような気がする。

それは私が働いていた企業だけの話ではなく、ほとんどの企業がこれ同じではないのか?と思う。

松下幸之助氏がある著書で、企業は確固たる経営理念をもたなくてはならない。

そしてその経営理念は企業は存在することが社会にとって有益かの問に答えられるもので、これに照らし合わせ企業のあり方について自らに問い、自らに答えを持たなければいけないと言っています。

まさしく社会貢献ですね。

さらには、その経営理念は頭で考えたものでは本物にはならず、その人の人生観なり、人間観、世界観といった奥深いところに根ざしたものであることが大切だと。

しかし、今多くの会社はどうなのか?

もしそれが出来ていたとしたら、これほど多くの自殺や心や体の病、犯罪はないのではないかと思うのです。

松下幸之助氏をはじめ偉大なる経営者と言われる方々の多くは、大きな志を元に、小さな行動を起こし、多くの苦労や危機を乗り越えて企業を成長させてきたからこそ、素晴らしい人生観、人間観、世界観をもち、そしてその企業を永続するためには、会社に働く人すべてがその心を共有していくことが大切ということで〝経営理念”を作ったのではないのでしょうか?

そして成功した人に共通するのが、”社会貢献”をするという志なんだと思います。

では、本当の社会貢献とは?

私が思うのは、人としてどう生きるかの向こう側に存在することのような気がするのです。

そして企業の社会貢献も、企業人としてではなく、人としてどう生きるか?という個の集まりがあってこそ初めてできるものだと思うのです。

私もサラリーマン時代、病になってから、頭の中にずっと〝社会貢献”という言葉がありました。

しかし、そこには、社会貢献をする自分の姿への憧れのようなものがあったように思うのです。

その根底には、人からいい人に見られたい、自分を大きく見せたいという意識があったのです。

しかし、詳しくは書きませんが、これまでに様々な出来事や出会いがあり、本当の社会貢献とは外に向けてするものではなく、自分に向けてするものだと思うようになtりました。

まずは自分がどう生きるのか?を問い行動する。

その問いが間違っていなければ、自分のやっていることは「必ず社会貢献になっているのだと思うようになったのです。

そして、今私はそのために必要な3つの体と心の行動指針を作っています。

○学びと成長
自分の考えにとらわれず、人や自然そして自分の周りで起こる様々な出来事から学ぼうというきもちが人間的成長につながる。

○愛と慈悲
すべてのものに対して無条件の愛をもって接すること。

○そして、生きること
自分らしく生きるめに自分を大切に生きることで、志を1日でも長く継続できる状態を保つこと。


そうすることで、

学びと成長によって、創造性が生まれ

愛と慈悲によって感謝の心が生まれ

生きることで、自分の役割が生まれる

そしてこれらがどれだけ出来たかによって社会貢献の度合いが決まると思うようになりました。

そう思ったら、なんだかとても楽になり、楽しく生きることができるようになったのです。

私の思う〝社会貢献”

それは〝自分らしく生きること”とてもシンプルなものだと思うのです。

そんな人が増えたら、きっと自殺も病も犯罪もなくなるいい社会が出来上がるような気がします。