私は何年か前から「自分大好き人間」になりました。


また、ガンになる前も、うつ病になる1年ほど前までも「自分大好き人間」だったような気がします。


そして「唯我独尊」的なところもありますが、この解釈はガンになる前と、後では大きく違うのです。


ガンになる前は、自分は正しい、優れているといったうぬぼれ的な唯我独尊。


そしてガンになってからは「人間はみな尊い存在だから、自分も尊く愛おしい」という解釈に変わりました。


そう変わった一番の理由、それは「我欲」の捉え方が変わったからのような気がします。


今日はそんな「我欲」について書こうと思います。


「我欲」


それは一見良くないもののように聞こえるし、私もそのような表現をしてきたかもしれない。

しかし、人間は欲があるから生きていられるし成長もする。
欲がなければきっと怠け者になってしまうのだろう。

ではいったい我欲があるとは良いものなのか?良くないものなのか?

ちょっと話はそれるが、私は物事や出来事に良いも悪いもないと思っている。
良いとか、悪いとかいうことは、個人的価値観や判断でしかない。

それを良いとか悪いとか言っていても何も解決しないどころが、どんどん間違った方向に進んでいくような気がする。
間違った方向とは憎しみ、戦い、悲しみ・・・・

善悪という基準は囚われでしかないと思うのだ。

そして囚われは執着することで生まれ、育まれてしまう。


それは何を隠そう、物事への執着ではなく自分への執着なのだ。


自分の価値観や考えは、正しいと思うから間違っているとか悪いという概念が発生する。

これは他を認めないという、自分の執着以外のなにものでもないような気がするのだ。

つまり物事に執着すること、我欲に執着することが良くないのであって、我欲があること自体が悪いのではないと思うのだ。

言い換えれば、どんなに良いことでも執着すると良くないことになってしまうということ。


そして悪いことでも執着せず、良くなるためだったと思えば良いことになる。

それは私の場合であれば癌であり、癌になる前の自分。

癌=悪  過去=罪 という執着を捨てたことで新しい出発点に立つことができたのだ。

そして今までとは違う自分になろう思った。


これは我が良くなろうとする欲、我欲に他ならない。

しかし自らに執着はせず、よくなった自分は何ができるか?を考えて実行することで我欲は生かすことができると思うようになった。

“我欲”


それは悪いものではなく、人間を成長させるものなのではないかと思う。

執着さえしなければという限定つきではあるが。