ぎっくり腰になり、今日一日ゆっくり休んでみてふと思いました。
どうして私は走るのだろうと?
思い返すと昔からずっとずっと走っていたように思います。

その理由のひとつは休むことへの罪悪感があったから。
それは自分を強く見せたいから。
 
休むなんて軟弱ものだと思っていました。
しかしそれは大きな間違い
 
強がりは弱さを隠す手段であったような気がします。

それが証拠に、休む勇気が無かった自分がいました。
そして、癌になったとき休むことができてホッとした自分もいました。

癌に頼らなければ休めない自分・・・・

そして今回、ぎっくり腰に頼らなければ休めない自分・・・・
結局は何も変わっていなかった・・・

「自分がいなければ」という自意識過剰
そしてその裏側には「他人を信用していない」という潜在意識があったのでは?

その根源にあったのは、自意識過剰ではなく、自己評価が低いから自分の存在感をアピールしなければ不安な自分

休んでしまったらその低い自己評価が露になってしまうと休めなかったことがわかりました。
そんなことを気付かせてくれたのが、めぐみの仲間たち。
 
ありがたい。

今日、私が休んでも戸田さんや山田さんが岡崎でめぐみ6次産業化のスタートを切ってくれた。
そしてマコト君は先を見据えて冬野菜の植え付けや準備をしてくれている。
明日は仲間達が手伝いに来てくれる。
 
そしてみんなの思いは私の思い。
誰が強いとが弱いとか、誰が上か主体なのかとかではなく、全員が同じ目線であり立ち居地。

そして私もその一人。

そんなことを感じていたら、弱い自分でも良いんだ!
もしかしたら私が弱いほうが良いのかも?なんて思えてきた。
 
仲間がいること
 義務でなく楽しむこと
そしてみんなが自分の為、自分が楽しむ
 
そのため必要なのが仲間という他人。
仲間がいて助けてくれるから、小さな自分が大きくなれる。

人間は誰しも強くなく弱いから生きていけるのだ。

弱い自分を受け入れるから感謝の心がわいてくるのだ。
 
そして生かされたいると気付くのだ。

やっと素直になれた様な気がする。
 そして楽になった。
 
これからはぼちぼち行こう!
皆さん織田は怠け者になるかもしれないけど許してね(笑)