今日は昨日ブログで書いた、「愛知 農場再生プロジェクト」を
私がどうしてやろうと思ったかを書こうと思います!
まずは40年前にこの研修農場を作られた石川皓英さんのことを書こうと思います。
石川さん昔の農家の仕事はきつくこのままでは、いずれ人々は農家から離れていってしまうだろう。そして。もっと楽に農業がやれるようになれば、もっとたくさんの人が土と触れ合うことができるようになる。人間はどうせみんな土に返るのだから土に触れてもらうことが、人間の一番の原点になるのだ。そのために便利な機械を販売しょうと思い「石川農機」という会社を作ったそうです。
昭和45年たまたま友人と2人で行ったインド旅行で、たくさんの人が寒さと飢えのために死んでいるのを目の当たりにして、「同じ地球に住んでいてこんなことがあって良いのか!何か私にできることはないか?」と思ったそうです。
そして帰国後、アジアの青年たちに日本の農業技術を教えるオイスカの活動のことを知り、自宅の横にオイスカの研修センターを作ったのが、恵研修農場の発祥なのだそうです。
その後、石川さんは研修生と寝起きをともにして一度も家に帰らなかったそうです。
そして研修生には「君たちが作っていく作物が先生なので、作物と話してください。すべては作物が教えてくれます」
それだけで、あとは自分のやっていることを背中で見せ、昔おばあさんに教わった「人からもらうことよりあげることを考えろ」とだけ教えたそうです。
以後、約20カ国、300人以上の方がこの研修センターで2年間の研修を受けて自国に帰り、リーダーとして活躍をしているそうです。
その後、東南アジアを回り現地の人たちの農業のやり方を教え生産量を増やし、飢えで苦しむ人を一人でもなくしたいと言う思いだけでやってきたそうです。
そんなか、昭和63年日本に帰り作手村に稲作の実習センターを作ろうと思った矢先に、左手首に皮膚ガンができその後、肺と大腸に転移、医者には後1週間の命と宣告され、自分の死んでいく姿を見せるのも最後の大きな教育だと思い病院を無理やり退院して家に帰ったところ一ヶ月たっても死なないのでどうしたものかと思っていたとき、テレビで全身にガンが転移した人が尿をがぶ飲みして2年後には元気ななったという番組を見て、以前インドやバングラディッシュの人で尿を飲んでいた人は餓死しないし長生きしていることを思い出し、自身も神にすがる思いで尿をがぶ飲みしたことで、ガンがあるにももかかわらず元気に過ごされたそうです。
そのころ「花を作れ」と言う天の声を聞き一色町で10ヘクタールの土地で花を作り、一色さかな広場の朝市に持って行き来た人にもらってもらったそうです。
そして、大腸と肺がんを持ったままで元気に生きていたので、癌の人がたくさん相談に来たそうです。
そんな方に石川さんは「あなたの苦しみを全部ここに置いていき、喜びと希望だけを持って帰りなさい」と花を渡したそうです。
そして花を育てたことで、花を溶かす酸性雨か地球環境の悪化を知り、人間が作った経済優先社会はすべて浅知恵なのでいつかは壊れるが、自然と共存していけば決して壊れないことがわかり、今病んでいる地球を救うことがもっとも大切なことだと思いこれを伝えるため、無農薬無化学肥料での野菜作りを学ぶ、恵研修農場を運営し
「地球を救うには人の心が変わること。自分だけが良ければ良いなどという小さな欲は捨てて、大きな普遍的な愛で地球や他の人を愛してください」と説いてきたそうです。
しかし、残念ながら69歳で癌でお亡くなりになり、その後この志を栗田さんがつぎ、この農場を一人でやっていましたが、栗田さんも石川さんと同じ肺がんになり今年になって骨に転移してしまったので、この農場を引き継いでくれる人を探していることを、がん患者会の出会いで「玄米おむすびの会」のお付き合いがあった、佐々木さんからお聞きしました。
私は癌も心の病もほとんどが、人間が作った経済優先社会の副産物だと思っています。
そして今や日本という国が癌に侵されかけています。
私は以前から、そんな病になった人が元気に復活することが、そしてもっとたくさんの人が土に触れ人間の一番の原点を知ることがこれから日本が元気ななるための一番大切なことだと思っていました。
身体や心を病んだ方が、きちんと生活しながら健康になれるための時間を過ごせる場を作りたいと思っていたので、この研修農場はまさに私がやることが約束されたものだったと確信しました。
しかし、私は日本がんマネジメント協会もあり、家族もあるので、今すぐここに生活の場を変えることはできません。
そんな時、映画『降りてゆく生き方』の上映などで活動を共にしている、マコトくんが農業をしたいと言っていたのを思い出し農場の運営のことを話しました。
するとマコトくんもビレッジをを作りたいという夢があったようで二人の思惑も合い一緒にやることにしました。
ここで私の夢がマコト君の夢と一つになったのです。
そしてここから更に多くの人の夢をつなげるための「愛知農場再生プロジェクト」を立ち上げようと思います。
このプロジェクトは40年前にこの農場を作ったときに石川さんの夢の再生を、愛を知るという原点に帰って目指そうというものです。
私たち2人と同じ夢を見てくれる方を広く募集していきます。
農場のコンセプトは
「占有ではなく、異種様々人が気軽に立ち寄れ集うことができる場」
「農業を機軸とした、今までにない新しい産業として一人ひとりの人が自立して生活を営めるようになるための場」
“愛知ふれあいファーム
めぐみの里”
2月27日(月)からマコトくんが入りますし、私も3月から月曜日~水曜日はここで居住します。