昨日も書きましたが、私は人からものを頼まれたとき「NO」と言えない性格でした。
そしてその性格が癌を作ったことが解ったので、自分の意思をはっきり伝えるようにしました。
はっきり伝えるといっても、嫌なことを「NO」とはっきり伝えるのではなく、自分で「YES」か「NO」かを選択してはっきり伝えました。
その基準が、
「私でないと出来ないことか?」
「緊急性があるのか?」
「その人に取ってYESと言うことが良い事か」
子供が補助輪を外して自転車に乗ろうとするとき、最初は怖いから自転車をもって練習を手伝ってと頼まれたとします。
そのときの選択として
「私でないと出来ないことか?」
今手伝える人は、私、家内、姉、おじいちゃん
その中で誰が手伝うのが一番早く乗れるようにうなるのか?
誰が一番時間があるのいか?
「緊急性があるのか?」
周りの友達が皆乗れるようになったけど自分は乗れないのでつらい思いをしているのか?
自転車の練習をすることが良いのか?
他にやるべきことはないのか?
「その人に取ってYESと言うことが良い事か」
ここで手伝うことが補助輪なしで自転車に乗れることに繋がるのか?
家族が手伝わないことで、子供が友達と一緒に自主的に練習たほうが早く乗れるようになる場合も多いはずです。
子供のことで例えを書きましたが、これは多くのケースに当てはまります。
ものを頼んでくる場合に自分は何人かいる中の一人です。
「こんなことをお願いできるのはあなただけ!」と言う人がいますが、それは頼むための手段であって、よく考えれば他にもいることは分かります。
たとえ、もしそうだったにしても、そんな状況や人間関係を作ったのはその人自身なのです。
そこでもし私が頼まれたことをやってしまったら、その人はまったく変わることはありません。
だからまた頼まれるのです。借金と同じですね。
頼まれたからと言って、自転車をずっと持っていたら永遠に乗れるようになることはありません。
大丈夫かなと思ったら手を離してあげること必要です。
その結果として、転ぶことがあったり
「どうして離したの?」と怒ったり泣いたりすることが予想されてもです。
手伝う側にとっては「放す勇気」
子供の側にとっては「一人で乗る勇気」が
必要なことが解ると思います。
頼まれたことにたいして「NO」と言えないことは、頼んだ人の成長を阻むことにも繋がるのです。
私はそんな視点から頼まれたことに対して「YESかNO」かの』選択をするようにしました。
そして「NO」と選択をした場合は、きちんとその理由を話します。
先ほどの例からすると「お父さんは明日までにやらなければいけない仕事があるからそれが終わったらにしようか?」です。
「YES」と選択した場合は、どんなに忙しくても手伝うと言ったら喜んで徹底的に手伝うようにしています。
それが本当に双方にとって良い結果を生むはずなのです。
最初は苦しい思いもしましたがこれをしたことで、人間関係も大きく変わりました。
人間関係も含めて自分自身の心地よい環境を作ろうと思うには、ある程度の苦しみや困難は必要です。
それを乗り越えたときに、本当に良い環境が出来上がるのです。
汚れた溝をきれいにする時には匂いや汚れも省みず清掃しなければいけません。
それをしない限りは汚れはどんどんたまってきます。
この汚れが心の汚れで、たまりすぎると癌化してしまうのでと私は思っています。