《納豆づくりへの想い》
たかが納豆、されど納豆、美味しい納豆だけをつくってきました。

「ひたちの納豆屋 菊水食品」は、1948年に創業以来76年、茨城県日立市で納豆の専門店を営んでおります。大手メーカーではできないきめ細かな職人技術により、発酵が十分でありながら納豆くさくない、大豆の甘みと香りを十分引き出す納豆作りをしています。大得意先の倒産、 東海原発事故 、 東日本大震災、コロナ騒動と、何度か経営の危機がありましたが、お客様に支えられてここまで続いております。

 

《クラウドファンディングに挑戦しようとしたきっかけ》
4代目が頼もしく育ってきた今こそ、木桶納豆をやりたい。

 

 

 

 

「ひたちの納豆屋 菊水食品」は創業76年の納豆専門店です。
初代の猛次郎は、東京の空襲で焼け出されて日立に来て最初は塩焚き、のちに納豆屋を生業にしました。
2代目の康隆が納豆をつくるのを見て育った私は、おやつといえば納豆を食べ、おかずも納豆、親は毎日仕事、遊びにも行ったり好きなものが食べられる日立製作所勤めの家庭がうらやましかったものです。

自分が納豆屋になってからは、誰にも教えてもらえずに見様見真似でつくりめました。
もちろんたくさん失敗したし、納得いかない出来でも、常連のお客様が買ってくださいました。
それからずっと、自分が「うまい」と思える納豆をつくり続けてきました。

長男と一緒に仕事をするようになってからは、技術を伝えながらもなるべく任せられるところは任せ、今はすべての工程を一人でできるようにまで成長しました。そろそろ事業継承も視野に入れるこの時期、私の中でひとつの夢が浮上してきました。
それは、子供のころに見ていた「木桶で仕込む納豆」の記憶です。
木桶で大豆を蒸していた景色、蒸しあがったばかりの大豆を食べたあの甘さが忘れられない。。
あれを再現できないだろうか。
それを木桶の容器で発酵させたら新しい味ができるにちがいない。

今になって、この誰もやっていない製法をやってみたいと思った理由はもう一つあります。
実は、4代目は真面目に仕事をしながらも「このような利益の少ない納豆屋で食べていけるのか」という疑問を持っています。
ここで3代目としては最後になるかもしれない夢にチャレンジして、より多くのお客様に「納豆の新しい価値と可能性」を届けたうえで、4代目がみずから納豆屋としてやっていく希望と覚悟を持ってくれることを期待しているのです。
(とカッコつけてますが、お察しの通り「自分がやりたい」というのが一番の動機です。)