《ヘビーな波瀾万丈人生》
20年来の秘密を打ち明けて気持ちがラクになったので、日立に来た当時のことを少し。
今19歳の娘がお腹にいた時、超高齢かつ大きな子宮筋腫があったため100日以上病院にいました。その頃、自宅のリフォームをしていて業者とトラブルになり工事中断。夫はストレスで入院。病院から帰る家がすぐに手配できず、息子2人を親戚に預けて私たちはビジネスホテルに泊まりました。実家が遠いというのはこういうことかと実感しました。
1階の工場は稼働を続けていましたが、2階の自宅は壊されたまま事務所部分だけできていました。2階に至る階段はなく、ハシゴを立てかけてました。子どもをおんぶしての上り下り、今考えるとけっこう危ない。小さなストーブしかないので、納豆容器が入っていた大きな段ボールを窓一面に立てて寒さを凌いでました。
さらに売上の9割以上を占めていた大得意先が倒産する騒ぎになり、乳飲み子を抱えて社長と会長と3人で今後の補償などの交渉に。もともと仲人をしたり技術指導をしたりの親しい間柄でしたが、倒産となれば雀の涙ほどの補償でもあるだけよかった程度です。
その後は、残った設備投資の借金をかかえ、古参のパートさんひとりと子どもを背負った私と社長と3人で、小さな納豆屋として再出発しました。
一人暮らしを満喫して事務と少しの営業しかしたことのない柔な自分が、食品製造の現場で納豆作り、工場のお掃除、荷造り、発送、経理、赤ん坊の世話、家族の世話と「ケイコの知らない世界」の連続でした。
上を見ても下を見てもキリがないのが人生です。平凡な私にはこの20年は波瀾万丈もいいとこでしたが、もっと修羅場をくぐってきた人をたくさん知っています。
天涯孤独でも、身動きできない身体になっても、手続きさえすれば生きていける日本に生まれたことはなんとラッキーなことかと思います。
50、60は洟たれ小僧、70、80は働き盛り、90でお呼びが来たら100まで待てと追い返せ。洟たれ小僧で運が良い私は、今が一番幸せです。娘を学校に送り、盗撮するママやってます。
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