真実を伝えたいその2


さらに追い打ちをかけたのが10年前のJCO臨界事故です。風評被害で売り上げが落ち、さらにミツカンなどの納豆業界参入などもあり納豆の価格破壊が始まったのです。納豆だけでなく全ての商品の価格破壊が。

私は、価格競争でなく納豆の品質の良品化を訴え、協力会社が集まり納豆の品質向上のための勉強会を2年近くしたのですが途中崩壊してしまいました。結局品質向上より価格競争に走り私の忠告は聞き入れられなかったのです。

そして更なる薄利多売へと進んでいったのです。

そして6年前協力会社として、くめ納豆の製品作り及び技術指導から手を引く事にしたのです。

その発端は、当時くめ納豆の常務に藤倉氏がいました。今の工場では生産量が少ないので納豆生産を上げる為、新工場建設を依頼されたのです。

取引銀行に依頼して土地探し、藤倉を筆頭に工場の図面を引き、3百坪の納豆工場を建てようとしました。図面を引くにあたっては、藤倉だけでなく、当時の研究室長も関わっており、現地視察も幾度となく行われ、高柿工場や和歌山工場を引き合いに出し、工場の図面引きが行われたのです。
全てのことが進行し、銀行からの融資の目どがつき、今日融資がおりると言うその日にくめの社長が保証人をしない、と銀行に電話が入ったのです。依頼から着工まで三月足らずで進行した話だったのですが、常務の藤倉が画策したのか、研究室長が画策したのか、詳しい内容が社長に届いていなかったようで、それに腹を立てた社長が白紙に戻す判断をしたのです。

菊水食品としてはすでに3分の1の工場の解体が始まっているし、土地代金の頭金120万円は支払ってはいたのですが残金が払えず頭金は契約不履行で帰ってこない有様で残ったのは借金だけでした。

こういったことから、大義名分上からかもしれませんが私をくめの社員に、と言う話が持ち上がったのです。
数ヶ月待たされた結果、社員になる話もお流れに成ってしまいました。菊水とくめとのやり取りが一点に集中しないために、くめ自身を守るためにどうしたらよいかだけを考えた、姑息な手段をとったのだと思います。

こういったとき栃木県の協力会社の納豆保管冷蔵庫にねずみが入り納豆になった商品の半分近くが食い荒らさるという事件がおきました。緊急の工場検査が入り、当時、常務の藤倉曰く、菊水食品ではこの様なねずみが侵入する事故は100%無いかと聞かれた。あってはならないことですが100%ない、と言い切れませんね、と答えると100%でない会社には、くめの納豆は作ってもらう訳には行かないといいだしたのです。

この言葉を聞いて私は翌日からの納豆製造を止める決心をしたのです。






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