もうこんな時間だ。。。
寝ないと。。。
明日も朝から愛犬の朝んぽしなきゃなのに。。。
某劇場シーン6-1曲目。
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土岐麻子とCOME ON A MY HOUSEについては、
2020/11/7のこちらの記事をご参照ください。
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「COME ON A MY HOUSE」は、アルバム
「TALKIN’」(2007)の11曲目に収録。
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「家へおいでよ」
(うちへおいでよ、英語: Come on-a My House) は、
ロス・バグダサリアン(英語版)とウィリアム・
サローヤンにより1939年の夏に作詞作曲された楽曲である。
この曲は1939年の夏にロスとウィリアムにより作詞
作曲されたが、最初にヒットしたのは1951年6月6日に
リリースされたローズマリー・クルーニーのアルバム
『Come On-A My House』によってである。同年夏の
ビルボードでは、8週に渡り1位を記録している。
日本では1952年に当時15歳の江利チエミが歌い、
「テネシーワルツ」とカップリングされたデビュー
シングルは発売間もなく20万枚近くを売り上げる
大ヒットとなったが、これはスロー・バラード風だった
「テネシーワルツ」の人気の方が先行していた。
しかしながら、「家へおいでよ」で江利チエミがみせた
それまでの日本ジャズシンガーには見られない唱法は、
昭和30年代の『スイングジャーナル』誌で女性ボーカル
部門のトップを江利チエミが独占するきっかけともなった。
「テネシーワルツ」、「家へおいでよ」ともに音羽たかし
(キングレコードの共同名義だが、この曲の場合は、
ディレクターの和田壽三氏らしい)
による訳詞であった。それまでのジャズシンガーが進駐
軍関係の場所で歌っていたことから、英語(もしくは
原語)で歌っていたのに対し、「テネシーワルツ」、
「家へおいでよ」は英語の原詞と日本語歌詞が混ざった
構成となっており、英語歌詞のみでは日本人社会につた
わり難かったフィーリング(「テネシーワルツ」ならば
哀愁感)を伝えることができ、原詞の大意を伝えること
に成功したことがヒットの要因の1つであった。また
1952年前後に日本の流行歌にこれといったヒット
ソングが生まれていない、いわば低迷期であったことも
要因の1つに挙げられる。
~Wikipediaより
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しかし、デビュー当時の江利チエミさんは、
とても15歳には見えませんが、気のせいでしょうかねw
音羽たかし?さんは、顔がちょっぴり怖いし。。。
しかし、70年以上前の曲ではありますが、
今でもまったく古くさくありませんな。
逆にモダ~ンな感じすら醸し出しておりやすわ。
がんばれ!オレたち!



