亡くなった父を自宅に連れてきた


お坊さんが御経を読んでくれ


兄が関東から家に到着するまで


父を1人にしておけないので


私と夫で


実家で兄の到着を待っていました。


近所の人や親戚が、弔いに来てくれました。


葬儀屋さんとの話し合い


何故か叔父がグイグイと


話に入ってくる。


明日新聞に載せるための


記事の確認を、なぜか叔父の携帯になってる。


まあいっかと思って任せていました。


座敷に父を寝かせることはできたものの


たくさんお客さんが来るので


私はトイレや居間などの掃除をしていました。


母は父が亡くなった日から

小規模多機能型居宅介護に宿泊することになっているけれど


今日のこの日まで

チョコチョコ掃除していたものの


父が入院する前からの

汚れが蓄積され

とても汚れていました。


蓄積された汚れは

なかなか落ちない。


親の排泄後の掃除はなかなか

これが本当にシンドいです。


でも私しかやる人いないから

掃除しました。


なんやかんやで

何でだったか?忘れたけど

メモ帳がないかな?と探していました。


電話の近くにメモを発見うさぎ


あった、あったと思った時


メモに何が書いてあるのを発見しました。




読めますか?

2週間以上経った今も、

これを見ると泣けてきます。


母が

もう漢字もひらがなも

分からなくなってきている

母が

拙い字で書いた

父への手紙です。


私も全て読めません。

読めるところだけ読むと


「おとうさん

ずうっと まっていました。

今7じになりました

まだおきてまっています

まっているにあえればいい

早くきてね

おとうさんの ずうーっとどうなんだろう

としんぱいしてました。

まううも早くあいたいです」


※茶色の文字の部分は?の部分です。


母の最初で最後のラブレターです。


私はこれを1人で見つけて、

号泣してしまいました。


認知症になっても

自分のほうが認知症ひどいのに

ずーっと父を心配していました。


私は、父の遺体まで行き

もう眼は開かないけど

このメッセージを父に見せ


「おかあさん、

心配し手紙書いてくれてたよ。

愛されてたね。お父さん

おかあさん、1人にしてどうするんだよ。

馬鹿やろう。

起きろよ。バカ」


と言っていました。

一緒には死ねないものね。

どちらかが1人になるのは

普通のことなんだけど


母と父は自営業で、

昼も夜も一緒だったこともあり、

共依存のような関係だったのかな?


母は父の事

好きじゃなかった。仕方なく結婚したと

いつも言っていたけど


父の事愛してきたんですね。

夫婦のことは夫婦にしか分からない。


いつも喧嘩ばかりしてたのに