普段の何気ない判断とかにも、自分の癖というものが隠れていたりするわけです。
例えば自分の結婚観とか、それに基づく付き合いたい女性像とか、
随所に自分なりのジャッジが行われている。
事が上手く運んで行くならジャッジを疑問視する必要は無いですが
特に物事が上手く進まない場合、自分なりのジャッジが自分のしたいことや得たい結果を阻害するということもあります。
そのように阻害をおこすジャッジを「未熟なジャッジ」とでも呼んでおきます。
さっき気付いた自分の例でいくと、
結婚観や相手を見るときに、無意識の内に行っていたジャッジが
公か私か
という両極的な判断の仕方です。
社会に出ることととか、結婚とか、子を授かることとか、
そこの判断の基準のひとつとして公なのか、私なのか、ということを何らかのタイミングで大事だと思ってきていた。
この行動は公に晒して良いものか、或いはそういう公に晒すべきでない行いをする人は結婚の相手にはそぐわないだろうな~とか
公的なイメージの人は父母であるから、父母にも気に入られるような人が良いのだろうな、とか
逆に私的なもののイメージとしては欲望だろうから、欲には流されない方がいいのだろうとか
ただ私だと友達もイメージ出来てしまうので、単純に私を否定はできないな、とか
思考がごちゃごちゃになって言ったんですね。
この場合、ジャッジをすることが煩わしくなっててきますが^^;
基準を見直すことで、公私の両極的な判断基準を見直すことで、思考の再整理を行うことが出来る様になります。
これは公か
これは公じゃないか
これは私か
これは私じゃないか
これを問います。
公や私にあたるものは極端であり、公じゃなく私じゃないものというのは中庸を保てるものとも言えそうです。
頭の中では
私 | 私じゃない 公じゃない | 公
と図にして、今まで公私両極の色眼鏡で判断してきたものを再ジャッジし直すことが出来る様になります。
すると、今まで気がつかなかった様な発見などを沢山することが出来る様になります。
ここで迷ってたのは、私の感覚に囚われていたからなのか!とか
例えば、今まで結婚というと公のイメージが強く、いわゆる超可愛い娘というのは私の感覚で捉えていた。
両者とも自分の中では中庸ではなく、公私いずれかに振れるために、
行動と思考のバランスがとれなくなってしまっていた。
見直した所、結婚は公でも私でもなく、しかし超可愛い娘は自分の中では、
結婚はいいが、超可愛い娘は無理というような感覚を持っているんだなということが理解出来たわけです。
実際に思考を奪われず、きちんと行動できる自分で結婚を考えていく為には、
中庸(公じゃなく私じゃない)の相手を選んでいくというのが重要な事になると思っています。
中庸で超可愛い娘を選ぶこともあるでしょうから、そこは人それぞれでしょう。
もちろん公私だけではないと思います。
幸せの形と乞食とか
自分に向いた暮らしと地獄とか
色んな基準があると思います。
滞っている事象に関して、自分が無意識の内に行っている未熟なジャッジを
発見して、工夫して、育てていってみませんか?
時間はかかるかもしれませんが、判断基準が成長し変化するので
着実に行動、そして結果が変わってきますよ。
セルフマネジメント
快と避、それぞれにマネジメントがあっていい。
リスクマネジメント
快マネジメント
スキーで言えば転び方を学び、道具を手入れして、コース外には危険が多いことなどを予測して行動するなどの部分がリスクマネジメント
レベルにあったコース選びや、道具の更新、インストラクターを選ぶなどの部分が快マネジメント
これらのマネジメントが合わさって、スキーヤーのセルフマネジメントがある
セルフマネジメントも分解すると
リスクマネジメントと快マネジメントがあるだろうなという予測
快と避、それぞれにマネジメントがあっていい。
リスクマネジメント
快マネジメント
スキーで言えば転び方を学び、道具を手入れして、コース外には危険が多いことなどを予測して行動するなどの部分がリスクマネジメント
レベルにあったコース選びや、道具の更新、インストラクターを選ぶなどの部分が快マネジメント
これらのマネジメントが合わさって、スキーヤーのセルフマネジメントがある
セルフマネジメントも分解すると
リスクマネジメントと快マネジメントがあるだろうなという予測
