
本日、2本目の記事
幸せをめぐる思考の色々

幸福と不幸だけじゃないよね
人間の思考というものは
「これは幸福に非ず」と
幸福を定義したりジャッジしてみたり、
(足るを知らずという感じかな?)
「未だ幸福に至っていない」と
基準をもうけてそこまでの道程に立っている様な気になったり、
「他者の幸福を被る」と
自分のものではない尺度で、自分の幸福を測ったり、
或いは他者の幸福イメージに乗って自分が幸福であることを思い込んでいたり、
是幸福、否幸福と言っている時って幸福なんだろうか?
夢中になってたり、納得出来てたり、
そういうことの方が幸福に近い気がするんです。
追記
言語上存在する「不」という言葉が、
僕の感覚上存在していない。そんな気がする。
むしろ「感覚をロストしている感覚」の部分を「不」の言葉で補っている気がする。
例えば不安であれば、安心の逆の状態を指すというよりは、
安心を忘れている失念している状態・安心が盲点に入り込んでいる状態を指す様に感じている。
だから不幸というのは、
酷い状態とか、傷事故損などの事象を指すのではなく
幸福であることをロストしているだけなのではないかと思う。
それって様は認識の問題なんだろうなって、
そう思ったのでその様に書いてみた。
ただ認識の問題って反射反応(とそのパターン)とかが絡んでくるから理解は大変なのかも知れないけれども。
幸せをめぐる思考の色々

幸福と不幸だけじゃないよね
人間の思考というものは
「これは幸福に非ず」と
幸福を定義したりジャッジしてみたり、
(足るを知らずという感じかな?)
「未だ幸福に至っていない」と
基準をもうけてそこまでの道程に立っている様な気になったり、
「他者の幸福を被る」と
自分のものではない尺度で、自分の幸福を測ったり、
或いは他者の幸福イメージに乗って自分が幸福であることを思い込んでいたり、
是幸福、否幸福と言っている時って幸福なんだろうか?
夢中になってたり、納得出来てたり、
そういうことの方が幸福に近い気がするんです。
追記
言語上存在する「不」という言葉が、
僕の感覚上存在していない。そんな気がする。
むしろ「感覚をロストしている感覚」の部分を「不」の言葉で補っている気がする。
例えば不安であれば、安心の逆の状態を指すというよりは、
安心を忘れている失念している状態・安心が盲点に入り込んでいる状態を指す様に感じている。
だから不幸というのは、
酷い状態とか、傷事故損などの事象を指すのではなく
幸福であることをロストしているだけなのではないかと思う。
それって様は認識の問題なんだろうなって、
そう思ったのでその様に書いてみた。
ただ認識の問題って反射反応(とそのパターン)とかが絡んでくるから理解は大変なのかも知れないけれども。
