カイロをやってて、患者さんを観る一つの基準として、
『相手が困っているか、困っていないか』
そういう基準を持って色んな判断をしてきた所があるんだけれども、
(結果、責任は助け合いの中にのみうまれるという考え方をして困らないような思考を生み出してみた。ただそれだけでは不十分だった。)
『相手が幸せか幸せでないか』
ということを、言動の基準としてみてもいいんじゃないかと、治療家としてもね、そう思った。
いや、思ってたんだけど、治療家という観点から患者さんの幸せを実現しようとするのって、
並大抵のことではないんですよ。
人を哲学的に、科学的に、技術的に、芸術的に、幸せにスタンダードを上げていくってことは、
少なくとも病気や症状に注目したままでは、実現不可なわけです。
開店当初から(お店自体はいま閉めたけど)「ライバルはディズニーランドだ」としてきた。やっぱり同じ5千円くらい払って頂くなら、
その時の幸せとか、未来への希望とかそういうものを提供したいなってずっと思ってた。
それはある程度までは実現できたんだけど(僕個人としての技術的な意味では)
ただそういう人を具体的に増やしていく為の方法とすると、普通の治療院では不十分だなって、
それで拡大可能な方法を研究していて今の勉強漬けの生活に入ってるわけです。
(勉強自体は好きだけど、果たしてそんなこと出来るのか不安でしかないけど、ただ楽しいからやる。それだけ)
話がそれたけど『相手が幸せか幸せじゃないか』っていうのは結構奥が深くて、
それこそ矢野先生の心理学学んでなかったら、僕は功をなさない勉強の為に死んでたw本当素晴らしいですよ、矢野先生。ある意味命の恩人です。
(結局は自分の思考をまとめなきゃいけないから、矢野先生とは関係のないことを沢山書いてるけれども、)
幸せを考える前に、
じゃあ不幸って何?ってことをちらっと見てみる。
紙とペンを用意して不幸だと思うことを書き出してみて下さい。
例えば、
・お金がない
・健康でない(病気だ)
・体調を崩しそうなくらい忙しい
・あいつよりも資産がない
・あいつほど能力がない
・産まれもったものが悪い
・環境が悪い
・国が悪い
・翻弄されている
ある程度書き溜まったら、それらの共通の問題を考えて見て下さい。
自分なりに答えを出してみて下さい。
チーン
はい。僕なりの今の答えですが、
『自分で行動していない。
行動は何をしたらいいのか分からない。』
『自分がやらないことで誰かがやっていることの信用の仕方が分からない。』
更に
『こういうことが問題だと思ってしまっている。そこが問題』
だから、それへの対応としては
・自分で具体的に何をすればいいのか?を明らかにする
・できることをやる
・できる方法と出会う(探す)
・それらの不幸がもし仮に人の善意によって起きているのだとしたら、どうだろうか?私はそれに対して何ができるだろうか?と問うてみる。
問題への対応ではなくて、次のステップを考えていく。
・自分が楽しいことをやる、幸せだと思うことをやる。楽しいことや幸せをどんどんと感じていく。感謝もする。
というような、
『自分の行動』
『前提・当たり前』
『幸福の拡大』
このあたりのキーワードに取り組むことで、治療家もディズニーランドに負けない存在になるのかなと思うのです。
治療の技術の上達も大切ですが、
・患者さんが幸せを感じる行動を見つけたり
・患者さんが苦しむような「前提や当たり前」を、楽になる楽しくなる幸せになるような「前提や当たり前」に書き換えたり
・幸福に集中して幸福を日頃から選び続けるように話を聞いてあげたり、気付いてない忘れてる様な幸せに気付かせてあげたりして感謝の気持ちを味わってもらったり
そういうことって大切なんだなって思うのですよ。
今回はこれで