質問の力って大切で、
相手に上手く質問すれば関係性が良くなるだけでなく、
相手の元気を引き出したり、それが嬉しくて自分も元気になったりしますよね?
(今日は酔いちくれて書いてますw)
自分に対しての質問もそうで、質問の仕方次第では元気にもなるし発見もある。
質問の仕方次第では、逆に沈んだ感じになっちゃたり、自分を追い込んでしまったりなんてこともあると思います。
元気になる質問をパターンや癖として身につけていられればいいのですが、
自分を追い込む質問がパターンになってるとキツイ感じに人生を選択してしまうかも知れません。
ネガティブだな~とすぐに分かればいいのですが、、、
中にはネガティブな結果を生むとも知らずに繰り返している質問があったりします。
今日気がついた、気が付かずにネガティブになっていく質問は、
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「自分は何の為に生きているんだろう?」
この質問そのものが重要というよりは、この質問を自分がどう捉えて、どう行動に反映させていったのかが重要だと思います。
やっぱり反射反応のお話。
中高辺りで将来何をしたらいいのか、と悩んで「自分は何の為に生きているんだろう?」
そのずっと以前に、親にこっぴどく怒られて「自分は何の為に生きているんだろう?」
色んな哲学や偉人達の生き方を学んで「自分は何の為に生きているんだろう?」
誰かと比較して凹むような時にこの質問をよく使っていたような気がします
あきらめていたようで、しつこく答えを求めていた質問。
そもそも、この質問自体が「経済的に機能し得ない」質問だということに今日になって気が付いた次第です。
いやお恥ずかしい。
今日話した旧友はドストエフスキーを例えにしてましたが、
哲学的なものは社会に出て意外と役にたたないものだったりします。
要するに難しい話は業務には向かないw
「自分は何の為に生きているんだろう?」
この質問は自分やその他の「知識」へ問いかけます。
知識の中に答えを求めようとしてしまう質問ですが、
「生きる」
ということは肉体を必要とします。
肉体を無視しては生きることに関しての答えは出てこない。そう思っています。
「自分は何の為に生きているんだろう?」
これの逆の質問は
「何しようかな?」とか「何がしたいかな?」だと思います。
「自分は何の為に生きているんだろう?」が知識=過去への質問であるならば、
「何しようかな?」は今ココに対する質問で、かつ目標の設定を含みます。
断然、「何しようかな?」でワクワクしていく方が、人生に楽しいこといっぱい増えていきます。
「自分は何の為に生きているんだろう?」
の場合、(「わかんないや」とあきらめられればよっぽど楽なのですが、そうでない場合)
答えを求める為には、仮説を立てて実証していくのか、あるいは「自分はこのために生きているんだ!」という思い込みが必要となります。
そういった仮説や思い込みが行動や自己認識を制限・限定させてしまう可能性があります。
すると思考の限界や壁にぶつかり、もがき苦しんだりする結果を生む。
ある種の苦しみの種seedsとして「自分は何の為に生きているんだろう?」という質問が機能してしまっていた流れです
今は「何がやりたい?」への返事として気軽にお酒を飲みながら独り言を書いてみたりしています。
「貴方は何の為に生きているの?」
という質問に
「楽しめればいいじゃん」と真っすぐに答えられたら良いんだろうなと思ったりしています。
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ではでは