小学生の時の謎 | はばたけ! 養護施設出身者

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養護施設で虐待を受けて育った者が、その後、社会で生きて行くために歩んだ記録

以前から何度か記事にしていますが、

小学校時代の学校の教師や、施設の職員といった大人に好かれていた

という記憶はありません。

では、クラスの中のその他の子どもに好かれていたかとなると、それも正直、自信ががありません

逆に施設出身である事を、からかわれる事もよくあり、それが元でケンカになった事も多いですから、全くそういう自信がないのです。


にも関わらず、私自身は常に周りのクラスメートの誰かから、助けて貰っていた気がします。

私の小学生時代のクラスの担任は、とにかく何か事件が起こると、

こういうような事をしたクラスの子がいます。 みんなは、そういう事はしないようにね

と、大々的に発表する方でした。

そして、それが暗に私の事を指しているのは、クラスの者はみんな分かっていました。


未だに良く分からないのが、クラスの中でさほど人気者だったとか、好かれているとも思えなかった私を、

なぜ、みんなが庇うような事をしてくれたのか

これが正直な所、未だにに本当に謎なのです。

私を庇ってくれたとしても、その事が、その子にとってメリットがある事とは思えません。

むしろ、黙っていたほうが、担任の受けも良かった気がするのですが、何故そうしなかったのかは、結局当時の私は、自分の方からは恥ずかしくて聞けませんでした。

更に不思議なのが、それが特定の一人、たとえば学級委員とかなら、分からなくもないのですが、意外と色々な子から助けて貰ってます。


小学生時代は、本当に思い出したくないほど、悲惨な出来事が多かったのですが、このブログを書くに辺り色々と振り返ってみると、結局は

クラスメートのおかげで救われた

と思う部分が多いのです。 

正直、かなりの部分の濡れ衣は、クラスメートが晴らしてくれて、そのおかげで、虐待が途中で打ち切られた事もあった事を思い出しました。


当時は、毎日が虐待の連続で、そこまでのゆとりが持てなかったのですが、今こうして当時を振り返ってみると、本当に謎として残ります。

里子の方には、何度も学校を転向した人も居るのですが、私はずっと同じ学校で、同じクラスメートたちに囲まれていた事を、幸せだったと思わなければいけないのでしょうね。

当時からこういう気持ちが持てていたら、私の人生もまた違っていたと感じます。


どんな逆境の中にも、どんな酷いと思える環境の中にも、そういった周りの目はあるのかも知れません。

全ての子どもが、そう感じられる環境の中で育って欲しいと、自分の体験を振り返ってみて、本当に思いました。