誰かといても、

 

ひとりぼっちのような

 

寂しさを感じることって、ありませんか?
 

 

 

 

 

こんにちは、小野村奈緒美です。

 

ご訪問ありがとうございます。

 

 

 

わたしは恐怖や不安で動けなくなっている方を、

応援する専門家です。

 

 

 

 

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ドキドキわたしの自己紹介です。

 

 

それから、

ドキドキこれまでの人生について。

 

 

 


 

私は、ずっとそう感じていました。

 

夫や、家族といても、

 

 

 

私の気持ちをわかってもらえない!

 

っていう思いから、

 

 

 

ひとりぼっちのような感覚になり、

 

とても空しく、

 

寂しい気持ちがありました。

 

 

 

 

私は昔、心が疲弊して、

 

働きに出ても、人間関係から、

 

すぐに息苦しさを感じ、疲労困憊してしまって、

 

何度も転職を繰り返してきました。

 

 

 

 

 

次こそは絶対に、

 

長く勤められるように頑張るぞ!!滝汗

 

っていう気合いから、

 

 

 

 

自分はもちろん、

 

家族からの励ましや応援の声に、

 

ものすごく大きなプレッシャーが重くのしかかり、

 

結局、同じ結果を繰り返してきました。

 

 

 

 

 

その度に、罪悪感が増えていくのです。

 

 

・いい歳して、人と同じ事ができない

 

・当たり前・普通のことができない

 

・情けない自分

 

・みっともない自分

 

・恥ずかしい自分

 

 

 

もう虚しさで、心が張り裂けそうでした。

 

 

 

 

 

恐らく家族は、

 

そんな私が理解出来ず、

 

『なんで、そんなことができないの??』

 

っていう気持ちだったと思います。

 

 

 

 

『アレコレ考えないで、とにかく働きなっ!』

 

って、よく言われてました。

 

 

 

 

 

当時を振り返ってわかったことは、

 

私だけ、

 

人間のタイプが違ったから、

 

互いに理解が出来なかったのだと気づきました。

 

 

 

 

 

というのは、

 

夫も、家族も、

 

ものすごく努力家で、頑張り屋さんなのです。

 

1つのところに長く勤めていたり、

 

くじけそうになっても、

 

必死に努力して、頑張っていました。

 

 

 

 

そんな頑張っている人から見たら当然、

 

『え?俺だって、頑張ってるんだから、

 

頑張れば乗り越えられるでしょ!』

 

っていう気持ちになりますよね。

 

 

 

 

 

 

でも私は、

 

同じように必死になって、頑張ってるのに、

 

心が疲弊して、生きづらさを感じてしまう。

 

 

 

 

 

 

 

いまでこそ、

 

 

ADHD、HSPなんて言葉がちらほら出てきて、

(➡恐らく、私は両方かと思われ笑い泣き

 

 

社会的に受け入れられつつありますが、

 

 

当時は、私のような人は、

 

 

どこか人として欠けているように見られてきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

私が感じていた寂しさは、

 

どこか自分が人として欠けているとか、

 

どこか自分だけ、違う人間のような孤独感から、

 

感じていたんだとわかったのです。