内戦
ダンナである。
ヨメは明日から再びガン治療に入る。
その前に、ちょっと前に感じていた
看護側の葛藤の記憶をひとつ、記しておこうと思う。
それは先月の入院時のことである。
R病院は先生を筆頭に非常にきめ細かくケアしてくださり、
ケースワーカー的な役割の看護師の方を
私たちにひとり付けてくださった。
ある種、先生が医療的部分の責任を負う主治医とするならば、
彼女は、患者の精神的部分であったり(相談相手になったり)
われわれ家族に対しての精神的疲労、
今後の対応(訪問医療の紹介)、気持ちの持ち方など
社会的&暮らし的な部分をケアしてくれる方として対応してくださった。
つまり、医療に詳しくない私たちと、専門医をつなぐ
コネクターとして、奔走してくれたのである。
そんな中、私は彼女からある提案を受ける。
4人部屋に入院しているヨメを、ひとり部屋に移してはどうか、
という提案だった。
ブログにも書いた通り、入院中はギボがほぼ毎日
ぺ~を連れて見舞いに行ってくれ、
そこでのふれあいがヨメの大きな喜びになっているのは事実であった。
そして、赤子であるぺ~は4人部屋ではいつ泣き出すかわからず、
なかなか落ち着いて一緒にいれないというのもまた事実なのであった。
それを見ての、彼女の提案である。
ただ、私はそれを聞いて、ひるんでしまった。
1人部屋は一日15,000円かかる。保険外である。
4人部屋は一日2,000円で済む。
ひとり部屋にしてやるのが、当然の優しさなのだろう。
看護師さんは誠実に語りかけてくれる。
「患者さんにとって、何が一番かを考えることが大事だと思うのです」
そうだと思う。
「お母さんにとって、なによりお子さんと一緒の時間が
一番大切だと思うんです」
私もそうだと思っている。
ただ、私がその話を聞きながら考えていたのは
「1週間で10万……あと、どれくらいで退院できるのだろう」という
現実的なそろばんに関することだった。
結局ヨメにひとり部屋の話は切り出せなかった。
家計の部分は守られたかもしれないが
「私はなんて小さい人間なんだろう……」という
鈍い内出血のようなものは残った。
彼女のどんな言葉も正論すぎるほど正論で、
それを押し付ける風でもなく、
丁寧に語りかけてくれた姿はプロフェッショナルの鑑だった。
それがまぶしすぎたせいもあるのかもしれないが、
見たくなかった自分の矮小さは、
じくじくと、今も私を責めるのである。
また別のケース。
同じ彼女と、今後の方向性、可能性について相談していた。
川崎や故郷のいわきか、そうなると子どもは、
私の仕事はどうするか……そんなことを話していたときだった。
彼女は言う。
「奥さんと、お子さんに、なるべくのことをしてあげてください。
ダンナさまも、ここは決心されることが必要かと――」
そして、念を押すように付け加える。
「どうか、後悔することのないように」
このフレーズの前で、すべては無力化されてしまった。
私は「決心」に向けて、強い力で押し流されていく。
けっして彼女はそんなことは言ってないはずなのに、
私の耳には、「決心しないでいると後悔するかもよ」
そんなふうに聞こえてしまうのだ。
自分に失望するのは、もういやだ。
しかし、だとしたら、どこまで捧げれば許されるのだろう?
そして「決心」の前でおろおろととまどう私を、
もうひとりの私が軽蔑した目で嗤い、
冷静になろうとする私と、情をまっとうしようとする私が
互いに銃を向けて、どんぱちと撃ち合い始めた。
おかしなことに、誰も悪くないのだった。
誰もが良かれと思ってやっているはずなのに、
熱意が高まれば高まるほど、それは私を追い詰め、
内戦の火蓋を切ってしまう。
そして、それは何の役にも立たないくせに、
やたらと労力を浪費して、心がただただ痩せていく。
今もときどきわからなくなる。
今、私を動かしている力の名前って何なんだろう?
それは、ヨメへの愛情か?
ダンナとしての責任感か?
人としての良心なのか?
のりかかった船だからか?
応援してくれる家族・友人たちに応えるため?
「冷たいダンナ」と思われるのが怖いだけか?
誰かに褒めてほしいのか?
悲劇の主人公に酔ってるだけか?
なんかむりやりポジティブにしようとしてないか?
躁が醒めてきた頃、各地で勃発するゲリラ戦。
あちこちで、黒っぽい血が流れ出す。
正解は
「どれもが存在していて、時刻によって違うだけ」だ。
友人が「苦しんでるけどがんばってる文章を読むと勇気が出る」と言ってくれた。
ヨメの「がん友達」のダンナさんも読んでくれていると言っていた。
自分も『野の花の入院案内』(徳永進・講談社)みたいな、
酸いも甘いも全部抱え込んだ視線に会うと、ほっとする。
誰だって弱いのだ。
ああ、書いてすっきりした。
そして、簡単に
また明日からがんばっていこうという気になってしまった。