がんフーフー日記 -72ページ目

何度でも。

ダンナですが、今回はダンナ独演会です。




しばらくブログが途絶えてましたが、それにはいろんな理由があり、
引越により家からPCがなくなってしまったこと、
同時期に会社も引越で大忙しなことが、まず大きく。


同時にダンナにしてみれば、

月末で仕事を退くことを徐々に周囲へ告知しはじめ、
それによる引継ぎやら、ありがたいことに送別会のお誘いやら、
さらにはなぜかこんなときに限ってW杯が大好評開催中で、
東京生活(仮)クロージングに向け、

ぶっちぎりで慌ただしいことになっています。



まあ、そんな環境的理由とは別に、
ヨメの引越が完遂して、心身ともにブツッと糸が切れていました。



あまり意識していなかったけど、やはり相当背負っていたのか、
「ヨメを川崎からご実家へ還す」という行為が終わって、
「あー、この部屋、下見に来たときはこれくらい広かったなぁ」という
荷物が運び出された我が家に帰って来たとき、

なにかがドサッと落ちた気がしました。



正直、GW以降はアゴがあがった状態で走っていました。



GWプロジェクトで怒涛の祭を展開し、
そこからIRISでしばらく様子を見つつ――と思っていたら1週間で反発、
そこからいわき行きに向けて奔走。
のん気すぎる私が悪いのか、勝手な見込みが甘いのか、
事態の展開は想像していたよりもはるかに性急で、
5月は「マラソン走ってゴールしたつもりが、

まだゴール先だったよ状態」でとにかくへろへろのまま、

なんとか目の前のことに対応している有様でした。



もちろん、いわきに行っても常にケアはしてますが、
とりあえずいわきチームにバトンを渡した、ということで
バッタリいってしまったのです。


こうなるだろうとは予想はしていたので、
なすがままに任せることにしました。





しばらくは、自律神経がおかしいというか、暑いのか寒いのか

よくわからない日々が続きました。

誰とも会話しない週末をすごし、泥のように眠りました。

母との電話で、おおげさな愚痴を吐きまくりました。

なぜか口から出る言葉が広島弁になっていました。



1週間も経たないうちに、ひとりに飽きてきました。


あれほどカオスな我が家に辟易していたのに、
誰もいないがらんとした家はつまらないものです。
にぎやかなのも大変だけど、ひとりでも大変なんだったら、
にぎやかな大変さの方がいいかもな、と思いました。




このブログは当初は「いわきの友人たちに、 ヨメの一番近くにいる

私からの病状報告伝言板」というコンセプトで始めたものでした。
もうヨメはいわきに行ったから、又聞き情報で書くのもナンだし、

ここもお役御免かなと思ったりもしました。
しかし実際現地に行くと、どうやらあまり情報が共有されてないようで、
そういうのを聞くと、またしても


やっぱ、オレがやってやらんと、あかんな~~~!!!!!って。

ほんま、しゃーねーなーーーーーーー!!!!!!って。



そうなるだろうと予想していた通り、
またべらべらしゃべりはじめるというわけです。





幾人かが、心配してメールやら電話をくれました。


私たちはこういう形で、今回の事態をオープンにして、
友人たちにさらすことを選びました。
そこでいただける励ましの声を力にしてきました。
このことを「知っていてくれる」「気にしてくれている」ということに
寄りかかって日々をくぐり抜けてきました。



おこがましい書き方ですが、もうこれは「夫婦の物語」を越えて
ある時期を一緒にすごしている「私たち全員の物語」だと感じています。



だとしたら、言い出しっぺとして、きちんと最後まで、
話を続けていく役割が自分にはある気がします。


自分にできることは一体何なのか。


なにやらとんちんかんな責任感かもしれませんが、

それでも、まだ、話は終わっていない。





週末ぺ~と会ってめいっぱいチューをして、
カワイゲMAXのLOVE充電が完了しました。

いつかの見慣れぬ花の名前も「葵(あおい)」だと教えてもらいました。



こんなふうに、

あんなふうに、

これからもサービスサービスしますので、
引き続き、我ら親子と当ブログを宜しくお願い致します。