がんフーフー日記 -67ページ目

送別会

ダンナである。

今日はこっちの話である。



東京では、慌しかった仕事の山を越えて、

毎日が送別会のような日々をすごしている。

ひとまず会社には7月中旬まで行くことになった。



不思議なことに、送別会などに出ていて、


「そういえば、なんで私は会社を辞めなきゃいけないんだろう?」


という想いに囚われることが多々あるのだった。



自分で決めて、

自分で周囲に伝えて、

送別してもらうことにありがたやと思っておきながら、

いざ、送別してもらっている自分を見ると、

チョットチョットと言いたくなる。



え、本当に仕事やめちゃうの?


本当に?




冷静に、まわりを見渡してみる。


休職といいながら、戻ってこれる保障はどこにもない状態である。

この歳で、この景気で、正社員の立場を手放すことがどれだけ

無謀なことなのか、知らないわけじゃなかったはずだ。

それよりなにより、来月までは給料出るけどその先の生活費は

どうすんの? 医療費どうすんの? 保険は? 



ふと、絶望的な気分に襲われてしまう。

近い未来、遠い未来、どっちにも光がない。







アタマをさらに冷静にするため、もう一度、

こういう選択に至った経緯を辿り直してみる。



まず、ヨメとぺ~を、いわきに転院させるためには、

やはり「私も一緒に行く」という言葉が欠かせなかったのだ。


「私はこっちで引き続き会社勤めを続けて、

看病と子守りは週末がんばります!

あとはよろしくお願いします!」というのでは、

どうしても押し付けた感、見捨てた感が出てしまうと

感じてしまったのだ。

「私も行くから、一緒に行こう」、

やっぱりスジとしてはそれが一番正しいと今でも思ってしまう。


そんな葛藤に加え、当時ヨメの体調が相当ギリギリに見えたこと、

そして看護師さんに言われた「後悔しない選択を」という言葉が

背中を押したはずだった。



仕事はやめて、いわきに行く。

看護に専念する。




何度も何度も考えて、死ぬほど悩んだ選択、

それがイザそのときを前にして、

ぐらぐらぐらぐら揺れている。








ああ、これと同じなのかとやっとわかったのは、

ヨメの昨今の言動だった。


あれほど苦しんで、もうイヤだと自分で言った化学療法、

ちょっと体が落ち着くとまたやりたいと言いはじめた。


私も同じだった。


受け入れたはずなのに、ジタバタする。

いやだいやだとゴネはじめる。


やっぱり、夫婦だね。

そんな簡単に、あきらめきれないよね。







仕事をしているときは、ただでさえ忙しいのに、

じゃんすかじゃんすか病院や関係者からかかってくる電話に、

「両立とかムリ! なんとかして!」と思っていたが、

今はその忙しさが失われることが、なかなかに怖ろしい。


だんだん引継ぎが終わり、

仕事がなくなっていく中で思う。


わずらわしかった仕事にどれだけ自分が救われてきたか。

やらなければならない仕事のおかげで、

どれだけ自分が苦しみや不安を忘れることができていたか。

どれだけ小さな達成感の中に逃避できていたことか。


これから始まる仕事のない毎日とは、

日常のない毎日ということで、

つまり日々を支えていた「枠組」を失うことが

今の私は怖ろしい。






枠組のないアウェイの環境で、

こらから始める看護と育児の日々、

今はまるでマリッジブルーに震える、か弱き仔猫ちゃんのように

クラッと貧血でも起こしてしまいそうだ。