がん患者会 NPO法人いずみの会主催 定例講演会ダイジェスト(2024/03/02)

 

 

 

 

 

*講演のフルバージョンはオンデマンドで視聴できます!

 

 

 

 

◆夢が現実になる寸前で人生真っ逆さま◆

皆さん、こんにちは。二胡奏者の坂部恵奈です。

今日はいずみの会定例講演会にお招きいただきまして誠にありがとうございます。

去年の7月に小澤さんとご縁をいただき今日の運びとなりました。お話を1時間と映像を使いながらですが二胡を紹介させていただければと思います。

現在の私は二胡演奏と二胡を教える講師活動をしています。二胡を始めて18年なので、音楽家としてのキャリアはまだ短いです。元々は看護師をしていました。県の基幹病院の集中治療室、胸部外科と循環器内科の混合病棟などで5年ほど勤務した後に、看護学校に転職しました。そこで看護教員を3年務めたころ、今の主人と知り合い結婚しました。

私は10代の時から「子どもを産んでお母さんになる」が夢でした。「結婚退職して、お母さんになって愛情たっぷりかけて赤ちゃんを育てる」を理想としていました。それが最高の幸せだと信じていました。その夢が現実になると胸を躍らせていた結婚直前(29歳)、私の人生は真っ逆さまに転落していきます。

結婚前にブライダルチェックのつもりで婦人科を受診しました。そこで衝撃的な事実を伝えられます。子宮に6~7cmの拳大にもなる腫瘍が見つかったのです。診断は良性の子宮筋腫。ただし子宮は出血が多いのでその大きさだと腫瘍だけ取ることはできず、子宮をすべて摘出する治療方針を主治医から告げられました。

子宮全摘なんて子を持つ夢を間近にした私には到底受け入れられません。そこで神の手を持つような腕の良い医師を探し、腫瘍のみ摘出する手術を無事終えました。術後は毎月経過観察に通いましたが、執刀した主治医の様子に違和感を持ちました。術前の説明では手術が成功したらすぐさま不妊治療に入る予定でした。ところが一向に積極的な不妊治療が始まりません。後にわかったことですが、術後直ぐに再発していて増殖していたのです。主治医はそれがわかっていたので不妊治療を躊躇していたようです。何も知らない私は毎月定期検診に通っていました。


◆リウマチを乗り越えた先の残酷な事実◆

ほぼ同時期に、指、肘、手足が痛くなってきました。関節リウマチでした。骨を破壊する痛みがほんとうに辛くて激痛も走ります。私の場合は進行が速く、診断から3~4ヶ月でお箸を持つことも歩くことも困難になりました。泣きながら日常の身の回りのことをやっていました。

発症から1年経った頃はトイレに這いつくばって行く、寝返りも痛い、顎にも症状が出て一口噛むたび激痛でした。家事がままならないので夫婦関係がギクシャク、おしゃれもできない、外に遊びにも行けない。社会から孤立したように感じていました。この先どうなってしまうのだろう・・・不安と恐怖の日々でした。

発症2年後に国内初の生物学的製剤が認可されました。それが劇的に効きました。左肘だけは症状が残りましたが、なんとか歩くことができるようになりました。嬉しくて天にも昇る気持ちでした。さらに1年後、唯一症状が残った左肘には人工関節を入れました。しかし肘は90度までしか曲がらず、身体障害者3級となりました。

歩けるようになったことで、不妊治療で有名な病院に通い始めました。そこで信じられない事実を突きつけられることになります。赤ちゃんの頭より大きな腫瘍があると告げられました。あまりの衝撃に記憶が飛んでしまいました。診断を告げられた後にどうやって診察室を出て車に乗って家に帰ったのか。自宅近くのガードレールにぶつかりそうになってようやく我にかえりました。

MRIの結果、腫瘍のサイズは16cm、良性とは考えにくい、悪性度の高い肉腫の可能性があるので一刻も早く子宮と卵巣を全摘出しなければ命が危ないというものでした。そこで手術を受けた病院に戻ると執刀した主治医は転勤になっていて、別の医師がカルテを見直し手術翌月から腫瘍が大きくなっていた記録を知ることになりました。当時私が感じた違和感が腑に落ちました。

腫瘍を取って検査してみると肉腫に間違いなく、次は子宮全摘手術が予定されました。この頃の私は、もうすべてがどうでもよくなっていました。生きる気力は失せていました。子宮全摘は死刑執行に近い感覚でした。「再発をくり返す性質の悪い腫瘍で生き延びられる率も低い」「10代からの夢を完全に失う」~私という人間は明日(手術)で消える・・・。

 

 

 

 


◆死を覚悟◆

家族に説得され仕方なく手術を受けました。子宮を摘出したものの腹膜に播種があり、見える範囲で取り除くも腸の漿膜にも転移があったので剥がしたと医師が説明してくれました。元看護師として腹膜播種の患者さんを看てきたので、自分がどういう状態を辿るのか容易に想像はつきました。ましてや自分の肉腫がけっこうなスピードで増殖している事実があったので、近いうちに私は確実に死ぬと確信していました。手術後、私の体は鉛のように体調不良になっていきました。フォローの治療はホルモン剤の服用だけでした。(女性ホルモン依存性の肉腫という判断で)

このような度重なるショックと運命に翻弄され死を覚悟したわけですが、人間には底力があるようです。私は決して強い人間ではありません。母親は「あなたは子どもの頃から心がガラス細工のように繊細で扱いづらかった」と言われました。母は若くして私を産みました。感情のままにデリカシーのない発言も多く、その母の言動を真に受けて「自分は生まれてきてはいけなかったんだ」と思うようになりました。自己肯定感をずっと持てないまま大人になりました。

こんな背景があるので、基本的に私はネガティブな人間だったと思います。そんな私でも、これだけ立て続けに起きた試練を乗り越える精神があったのです。心が試練を乗り越え、それに体がついてきてがんを乗り越えることができたのだと思います。

どうやって精神的なつらさを乗り越えたか質問されます。その都度その都度のショックにひとつずつ向き合う過程で、心というものが少しずつわかるようになってきました。自分の心のクセもわかってきました。つらさと向き合う信念、価値観、哲学が育まれていきました。物事の考え方、捉え方が徐々に変化し成長していきました。その延長線上で体調が回復しました。


◆二胡との出会い◆

私の中で最も大きな転機が二胡との出会いです。リウマチを発症して1年半経ったある日、母から電話がかかってきて現状を訊かれました。「痛みで家事も身の回りのことも何もできない」と涙ながらに訴えました。すると母は「リウマチは怠け病って言うよね。そんないつまでもメソメソしていたら旦那さんに捨てられるわ」とバッサリ。私はその言葉に怒り心頭に発しました。そのとき生きる気力がゼロだった私は、図らずもこの言葉でエネルギーが猛烈に湧きました。

このままでは精神的におかしくなってしまう…我を取り戻しました。何でもいいから心が軽くなることをしよう! できそうなことを探しました。ネットで知った二胡は体がままならない私でも座って弾けるのでなんとかできそうだと思いました。住まいから最も近い二胡教室の門を叩き、先生に私でもできるか聞きました。「できるように教えるのが先生の仕事です」とお答えくださいました。そのときはまだ二胡の良さを感じていませんでしたが、先生の人柄で教室に入ることにしました。

先生はとてもよく私を褒めてくださいました。病気の自分は社会のお荷物で生きている価値がないと思っていた私は、先生のお褒めの言葉で自尊心を回復することができました。
母は家事もできないのに二胡を弾いていると批判的な目でしたが、お姑さんはご自身も病気で苦労された経験があり、「恵奈ちゃん、二胡だけは絶対やめたらダメよ。二胡に夢中になって病気を忘れられたら、その時間は病気じゃないってことだよ」と言ってくれました。実際その通りで、二胡に没頭している瞬間は痛みや病気のことを忘れられました。その時間を1分1秒でも積み重ねていきたい。その没頭した瞬間を体感できたことは私にとってとても重要でした。

そして音楽は自己の内面と対話するよいツールだと思います。ピアノを習っていた子供の頃、誰にも言えない感情を鍵盤にぶつけていました。人に言えない複雑な感情、うまく言葉にできないことを無心でピアノを弾いて表出していたと思います。

二胡と出会いは私の人生をも大きく変えました。二胡を演奏することが職業になったのです。習い始めて半年過ぎると、先生が私を人前で弾けるように指導してくださいました。3年経つ頃には舞台でのソロ演奏の道筋もつけてくださるようになりました。人前で弾いたり職業にすることは想像もしていませんでしたが、与えてくださった機会に応えようと真剣に取り組みました。リウマチで苦しみながらも二胡に希望を見出し、試練を乗り越えられたと思います。

 

 

 



◆一度きりの人生を存分に生きられていただろうか?◆

大きな心の転機がもう一つありました。3回目の手術(子宮全摘出)後、腹膜播種が判明しステージ4となった段階で死期が近いと自覚したときのことです。私には知らされず家族だけに余命が告げられました。ただ看護師の経験から、自分の状況を理解していました。術後、体調は悪くなる一方で刻々と死が迫っている実感がありました。命の期限をリアルに意識したことで、はじめて私は立ち止まり自分の人生について考えました。

「私は今までの32年間、一度きりの人生を存分に生きられていただろうか?」

私たちは誰もがオンリーワンの人生を歩んでいますよね。自分が主人公のストーリーを紡いでいく。でも組織や社会の中では言いたいことを我慢し、自分を抑えこんだりします。親や家族の言うことを聞いて将来の夢、目標、付き合う人を変えてしまう。これで私の人生は終わってしまうと思ったとき、私の心の中は虚しさや絶望感でいっぱいでした。健康で病院勤務していたときは心停止した患者さんを蘇生したり、集中治療学会で論文を発表したり、それなりに人の役に立っていました。しかし死を前に人生を振り返ったとき、心には辛さや苦しみが充満していました。

その理由は、常に自分が傷つかないよう自分を守ることに精一杯で、生きることに後ろ向きだったのです。いつも人の顔色を伺って周囲に合わせてストレスを溜めやすい人生でした。怖れや苦しい気持ちで毎日を過ごしていたことが私の人生全般の印象だったのです。何をするにももっと自分を人生の中心に据えて楽しむように送ればよかった。人生の総括は、成し遂げた事、手に入れた事、実績よりもその体験をどう感じながらやったのかが重要なのだと思いました。たとえば社会で活躍し実績を評価されていたとしても、実際にはその実績や評価を失うのが怖くてびくびくしながら何かに追われるように走り続ける毎日であったら、そのびくびくが人生の印象になるということです。どうせなら人生の一瞬一瞬を明るく温かい気持ちで生きていきたい。私は強くそう思いました。


◆余命を受け入れながらも残りの人生を自分主体で生きる決意をした!◆

それから死をリアルに感じたとき湧いた感情として、「肉腫の誤診さえなかったらもっと早期に正しい選択ができたのに」という誤診をした医師に対する怒りが込み上げてきました。でも怒りが湧いた瞬間、すぐに自分が置かれた状況を思い知らされました。「いまその医師をどれだけ恨んでも、その誤診をどれだけ追求しても、死ぬのは自分なのだ。その医師が土下座して謝ったとしても死ぬのは自分なのだ。自分がおかしいと思ったときに策を取らなかった自分の行動の積み重ねで今に至っている」。

自分の不運や不幸を誰かのせいにしたところで、誰も自分に成り代わってはくれません。自分の人生の主役は自分であり、自分の人生に起こったことは自分で責任を持ち受け入れるしかありません。自分の不運や不幸を誰かや、何かのせいにしていれば、誰かや何かに人生を変えられてしまう人間として一生受け身で生きていかなければなりません。でもすべては自分の選択の結果だと自らの足で立ち生きていく強さを持てば、不運も不幸も自分の手で変えられるものになります。これから先の運命を変えられるのも自分自身でしかありません。私は余命を受け入れながらも、いまこの瞬間から残りの人生を自分主体で生きる決意をしました。

余命と向き合っているとき、どうしてもわからないことがありました。健康で未来に向かっているときとは明らかにちがいます。死へのカウントダウンのなかで、どうポジティブに生きればいいのだろう? 兄弟姉妹の中でいちばんポジティブに生きている弟に尋ねてみました。「水が半分入っているコップを見て半分しか入ってないと思うより、半分も入っていると思うほうがポジティブじゃない!?」と答えてくれました。しかし、半分の水を3ヶ月の余命に見立ててポジティブになることはできませんでした。半分には半分の価値があり、それ以上でもそれ以下でもない。相対的価値ではなく、今のそれ自体の絶対的価値に思いが至ったとき、私は果たして自分の命を正しく見つめられていたのだろうか?と思いました。

医師に余命を告げられようと腹膜播種があろうと、命はたしかなものとして今ここに与えられています。周囲の状況や他者の言動とはまったく無関係に命は絶対的な価値あるものとして存在しています。子どもを持つ夢を失っても、体調が悪くても、私は今ここに生かさせてもらっています。大好きな人たちと笑いあい、大好きなことに取り組めている。その時間は決して当たり前ではありません。

余命が短いと言われても誰も未来のことはわかりません。命は死ぬまでの残り時間ではありません。今この瞬間に与えられている時間であり、人は今この瞬間だけを生きられます。過去も未来も関係ありません。過去は過ぎ去った時間のなかの記憶の蓄積であり、未来はまだ起こっていないことへの予測や妄想に過ぎません。

自分の命の絶対的な価値に気づいたとき、自己肯定感を持てずに悩んでいた私はいなくなっていました。


◆いま思うこと◆

いま私は最後の手術から17年生かさせていただいています。いま思うことをまとめとしてお伝えしたいと思います。

・心のあり方が自分の世界を作っている。外的条件(環境・体調・人間関係など)は実は関係ない。
・0歳でも80歳でも、余命がどれだけと言われようと、命はいつも同じ輝きを放っている。この瞬間の命を生き切る。
・病気を通して、自分が本来の自分に還る。その結果として、自然治癒力が引き出され、身体も改善されていく。
・病気になったことはかわいそうなことでもなければ、何かが悪かったわけでもない。全て完璧な神様の采配。そこに成長と愛がある。

私の話はここまでとさせていただきます。ご清聴ありがとうございました。

 

 

 

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