みなさん、こんにちは! 杉浦貴之です。

はじめましての方も、ご無沙汰の方も、今日はありがとうございます。

僕は24年前にがんに罹患しましたが、既に「いずみの会」は名古屋に存在していました。がん患者の希望になっていて、寄り添ってくれる会という印象で親近感を持たせてもらっています。

講演に先駆けていずみの会さんから「どうして歌を歌うようになったのか?」「音楽が回復にどう役立ったのか?」を話してくださいとリクエストいただきました。ですから今日は普段のライブと趣を変え、歌との関わりを話しつつ、皆さんのお役に立つことも少しお伝えできたなと思っています。

 

 

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◆ネガティブな言葉のオンパレードだった!◆

簡単にプロフィールを申しますと、僕はいま52歳です。28歳の時に腎臓肉腫が見つかりました。当時は全国に20例しかないめずらしいタイプのがんでした。2年以上生存している人が一人もいませんでした。早ければ半年、2年後に生きている可能性がないことを両親にだけに告げられました。僕は5年後にその告知を知りました。手術で左腎臓を摘出し、化学療法を受けた後、全国津々浦々さまざまな療法や養生法を経験しました。おかげさまでなんとか生かさせてもらい、シンガーソングライターとしてのライブ活動、また多くの人から教えてもらった大切なことのお裾分けする活動をさせてもらっています。ということで、今日は歌との関りを中心にトーク&ライブを進めていきたいと思います。

つい最近、Facebookで「音と細胞の関り」という投稿を見ました。フランスの音楽家 ママンさんが40年前にがん細胞に音を聞かせる実験をしました。440~493Hzの周波数の音でがん細胞が崩壊しはじめたと報告しています。いろんな楽器の音を聞かせたなかで最も効果的だったのが人間の声(とくにアカペラ)だったそうです。僕は浜辺や車の中、いろんな所で歌を歌っていました。また歌には言葉(歌詞)があるので、言葉の力も加わって体にプラスに働いてくれたのかなと思います。

僕はがんになる前、「自分なんて…ダメだ…」が口癖でした。口に出すだけでなく頭の中で鳴らしている言葉も影響があると思うのです。気づいたら、僕の頭で生成されるのはネガティブな言葉のオンパレードだったのです。その僕が歌うようになって、後ほど「大丈夫だよ」という歌を歌いますが、歌詞に込めた言葉が自分にはよかったと思っています。頭の中で意識的によい言葉を鳴らすのは大切だと思います。


◆自分で自分に蓋をした◆

音楽との出会いを思い起こすと、「好きなのにめちゃめちゃふられた」という感じです。忘れもしません、小学校の音楽の授業で先生に言われた言葉…今でも口にするのがはばかれる・・・には深く傷つきました。ショック過ぎて人前で歌えなくなりました。小学生ながら自分で歌っていると「すごくいい声してるじゃん!」と思っていました。でもいざ人前で歌うとなると震えて声も出ないありさま。

そのショックから立ち直るきっかけが、父がやっていたカラオケでした。うまく歌えないものの、カラオケで歌っていると気持ちがいい。そのとき歌っていたのが「くちなしの花」です。(笑) 皆さん、ご存知ですか? ちょっと歌ってみましょうか。音楽って当時の記憶を呼び覚ましますよね。 ♪♪♪~(拍手)

自然と歌詞も出てきちゃうんですよね。(笑) こんな感じで「別れても好きな人」とかも歌っていました。もうすぐ高校進学という時期に友達にふと言っちゃいました。「オペラ歌手になりたい」。でも、思いっきり否定されました。誰に? 自分にです。「そんなのムリだ! やめとけ! お前は親の喜ぶ進学校に行って、いい大学に入るって決めたんだろ!」・・・自分で自分に蓋をしたのです。

高校生になるとカラオケボックスが登場して、ごく親しい仲間の前でなら歌えるようになってきました。大学に入ると合コンです。野球部だったので声はデカかった。声量でごまかして歌っていました。(笑) 就職すると上司が夜のお店に連れて行ってくれます。そこでまた歌いました。歌うと拍手をもらったり、褒められることもありました。嬉しかったです。

 

 

 

 

 


◆音楽に救われた◆

それが28歳の時、がんに遮られた。社内では期待されて出世コースに乗っていました。突然、梯子を外されたような感覚でした。そのとき助けてくれたのも音楽だったのです。当時の記憶が蘇る曲はサザンオールスターズのTSUNAMI。瞬時にあの時の恐れがフィードバックするので、聞くのが耐えられないほどです。助けられた曲もあります。美空ひばりさんの「愛燦燦」です。 

それでも未来達は 人待ち顔して微笑む~♪

未来の自分が笑顔で待っているよ・・・涙が溢れました。

手術と抗がん剤治療が終わると、国内外を旅しました。訪れた先で出会った人から「あなた、何か芸はないの?」と訊かれました。何も持ち芸はなかったのですが「そうだ! 今までの僕を知っている人はいない」と思って歌を歌いました。松山千春さんの「生命(いのち)」。至る所で歌いました。ひとりの時でも歌いました。森の中、浜辺・・・自分の歌声に癒されていたのだと思います。歌ってみます。

この子の人生を 見届けられるなら~♪

歌うと「いい声だね!」「Beautiful Voice!」と声を掛けてくれるので図に乗りました。(笑) すると一緒に海外に行った仲間が、ボイストレーナーの牛島正人さんを紹介してくれました。それは歌手になるためボイストレーニングではなく、本来の体に戻し自然治癒力を高める目的のトレーニングでした。そのトレーニングをひたすら続けたら、腹の底から声が出るようになっていきました。


◆オリジナル曲の誕生◆

しばらくして、がん体験者の声を届けるために創刊した「メッセンジャー」を見た人から講演依頼を頂くようになりました。どんな講演がいいか考えました。せっかく話を聴いてもらうなら笑顔になって帰ってほしい。チャンス!!(笑) 締めくくりに2曲歌うことにしました。先ほどの松山千春さんの「生命」とKanさんの「愛は勝つ」。皆さん、拳を突き上げて泣いたり笑ったり。すごく盛り上がり、とてもよい雰囲気が会場を充たしました。

「オリジナル作ったら!?」と言ってくれる人がいました。考えたこともなかったのですが、「そうか、自分の体験を歌にしてみよう」。作詞に取り組み出した頃、先代の大関 貴乃花が亡くなられました。その記事の横にたまたま僕の「父ちゃん、生きてるよ!」という記事が載っていたのです。「貴乃花」・・・僕が「貴之」・・・実は僕の父は貴乃花が大好きで、僕を「貴之」と名付けたのです。運命的なものを感じました。小さい体で大きな相手に立ち向かっていく、土俵際で粘りに粘る。そんな貴乃花の姿を我が子に託したのだと思います。

詞が湧き出てきました。「限りあるいのちをめいっぱい生きる」「いのち尽きるそのときまでいのちのしぶとさを信じ続けたい」。好きな長渕剛の影響で荒っぽい歌詞ですが、人生を土俵に例えた「LIFE IS STRONG」という歌が生まれました。

ということで、やっと歌に来ました。(笑)

『LIFE IS STRONG』~♪

 

 

 

 

 


◆自分に「大丈夫だよ」という言葉をかけてあげたくなった◆

熱い思いが込み上げてくるのでいつもはあまり歌わないのですが、久々に歌ってみました。こんなふうに1曲目ができたら、様々な思いが言葉となって出てきました。幼いころ音楽の先生に言われて凹んだ自分、先生や家族や他人の顔色を伺って生きるようになった自分、言いたいことを言えず我慢していた自分、治療でつらかった入院中の自分・・・が蘇ってきました。でもそんな自分に「大丈夫だよ」という言葉をかけてあげたくなりました。その時はそれでよかったんだ。今が元気で幸せだから。

大丈夫と思えたきっかけは、病室で母が言ってくれた言葉でした。「貴之が生きていてくれるだけでうれしいよ」。その言葉から「そうだよ!大丈夫なんだよ!そのままで大丈夫!」。そうしてできた歌が「大丈夫だよ」です。これから歌わせてもらいますが、たぶん自分の声がもっとも自分を癒やせると思いますので一緒に歌ってみてください。

『大丈夫だよ』~♪

 

 

 
こころの口癖ってなかなか変えられないですよね。僕は今でもネガティブで「自分なんて・・・」とため息ついたりします。でも最後にポジティブな言葉で締めくくればプラスになるそうです。昔の僕は自分を責めたら責めっぱなし。病気するまで、大丈夫って言葉を自分にかけることなかったです。今では口癖に気づいたら、OK!OK!と声掛けするようになりました。脳科学的に最大のパワーワードは「ありがとう」。どれだけ自分を責めても、最後にありがとうと言えばチャラどころかプラスになるそうです。

 

 
◆ウケる=受け入れる◆

次の歌は僕にとってエポックメイキングな歌です。僕の人生を決定づけた歌の一つです。腸閉塞の歌です。(笑) この歌を思いついたとき、僕の中で過去たちを大切な宝物にできました。手術したときの自分、腸閉塞で苦しんだときの自分も仲間だ! 何も恥じらうことはない、誇っていい。そんな思いでできた歌です。腸閉塞を5回くり返した戒めもなっています。(笑)病気の自分は価値がない、親に迷惑をかけている、早く復帰して成果をださなければという思考に陥って、治すことを焦っていた時期でした。手っ取り早く治そうと玄米を大量に油でチャーハンにして噛まずに食べた。(笑)玄米の効果で治ると勘違いしていました。5回目の腸閉塞まで気づかなかった。アホですよね。(笑)その根底には「いまの自分じゃダメだ」という意識があった。「ゆっくり元気になっていいよ」ということにやっと気づきました。

『かあちゃん、ごめんね』(腸閉塞の歌)~♪

自分の過去を笑えるようになったときにウケたと思いました。ウケる=受け入れる。自分のアホなところ失敗したところを笑って受け入れられたら可愛いじゃないですか。歌うことでどう変わったか?と振り返ってみると、音楽の力でたくさん助けられてきたと思います。音楽や歌詞の言葉が身体を整え健康に寄与してくれたと僕は感じています。

 

 

 

 

 


◆歌でエールを!!◆

このように自分に向けて歌ってきましたが、外に向けて歌ってみようと作った曲があります。ご存じの方もいらっしゃるでしょうが、「とにかく元気が出る講演会」(旧 がん治っちゃったよ全員集合!)というイベントの最後に参加者さんが夢を発表します。また「がんサバイバー ホノルルマラソンの前夜祭で次の日への思いを語ってもらいます。そして、それぞれ夢や思いを皆で応援します。「〇〇さんなら大丈夫!夢は叶うよ、大丈夫!」エールを送ります。毎回、場がすごくよい空気に包まれます。そのエールに音をつけて曲にしたのが「君なら大丈夫」です。周りの人と応援し合ってみましょう! (会場全員でフリの練習)

『君なら大丈夫』~♪

 

 


皆さん、ご協力ありがとうございました。(拍手) 僕もおかげさまで大丈夫をもらいました。人の力って本当にありがたく大きいなと思います。リアルっていいですね。こういう場に来ると人の力をつくづく実感します。いずみの会さんが34年続けてこられたってすごいですよね。感謝です。

コロナも明けたということで、来年はがんサバイバーホノルルマラソンを再開しようと思っています。ホノルルマラソンは制限時間が無く、歩いてもゴールできるマラソンです。ハワイ旅行のついでくらいの感覚で参加できます。素晴らしいハワイの景色や、人との交流の時間を楽しんでもらえればと思います。

今年の6月に「がんステージⅣ 克服」という本を出しました。僕がすごく勇気を頂いたのが、がんを克服した先輩の方々でした。その方たちを紹介しようと「メッセンジャー」というマガジンを創りました。現在61号まで発行しています。のべ500人の取材をしていまして、そのなかでステージⅣから元気になって10年以上経過している8人のストーリーで構成されている本です。何がよかったのかを僕なりに分析もしています。もしよければ読んでもらったら嬉しいです。今日歌った曲も入っているCDは3枚ご用意してあります。よかったら聴いてください。

 

 

 


最後は、ある特定の人に感謝の思いを込めて作った曲です。僕が講演するときに「歌ってみなさいよ~!」と言ってくれた人です。皆さんにも大切な人がいると思います。その方をイメージして聴いてもらえたら嬉しいです。

『Love song ~ありがとう~』~♪

(会場の参加者同士で手をつなぐ)

ありがとうございました!!

 

 

 

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【編集長感想】

出演にあたって杉浦さんには、いつもとちがう内容のトーク&ライブをリクエストしました。

「歌うことになったきっかけはどんなことでしたか?」
「歌うことで何が変わりましたか?」

すると杉浦さん、自分自身を確認するかのようにルーツを紐解いてくださいました。はじめて聞くシンガー杉浦貴之&楽曲誕生秘話には、長年一緒に活動してきた僕も胸にこみ上げるものがありました。

子どもの頃、歌うことにコンプレックスさえ持っていた杉浦さん自身が、音楽と歌うことで救われた。音と言葉が彼の細胞に響き、脳や体内環境に作用したのだろうと思います。

 

 

 

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