あっという間の再発で死が一気に迫ってきた。そのとき、緒方さんがしたこととは?…ご家族とともに自分自身を“初期化”することでした。

 

 

 

 


【病歴】
2019年11月 ステージ2の舌がん告知、手術
2019年12月 退院
2020年3月 左首リンパ転移のため手術
2020年4月 急に顎下が腫れ、MR検査で4cmのがんの疑い ステージ4
2020年5月 治療のため入院 放射線化学療法
(放射線33回+抗がん剤3クール)
2020年7月 CT造影で1.5cmの腫瘍残存 顔面の変形を伴う手術を
勧められたがオプジーボを選択
2020年8月 MRIで1.5cmの腫瘍は繊維化している可能性示唆
2020年10月 倦怠感を訴えオプジーボ5回投与後に中止の申し入れ 
     PET検査の結果 腫瘍認めず 甲状腺炎が判明 オプジーボ中止 胃瘻抜去決まる
2020年11月 8月のMRIに比べて繊維化無くなり寛解の見解
2021年7月 退院1年後のCT検査クリア
2021年12月 画像診断クリア
現在に至る

 

 

 




◆私ですか!?◆

小澤
事前に細かな病歴を送ってくださり、ありがとうございました。今日は宜しくお願い致します。

緒方さん
こちらこそ宜しくお願いします。

小澤
がんの経過(上記)の順を追って、緒方さんのがんの捉え方や、緒方さん自身の変化についてお伺いしたいと思います。

2019年、はじめてがんと診断されたときはどんなお気持ちでしたか?

緒方さん
「私ですか!?」というのが最初の印象でした。ただ、10年やってきた介護職ではがんの方の看取りの経験もしていたので、どういう人(状態)が亡くなっていくのかの認識がありました。まだ私はそういう段階ではない。まずは冷静になって職場に連絡したり、保険の確認をしたりしました。早く手術して切除すれば治る、と思っていました。

小澤
手術すれば大丈夫だろうと、それほど大ごとには思わなかった。

緒方さん
それでも、舌がんは進行が速いと聞いたので、再発の不安は強かったです。

小澤
再発と死がリンクしていた?

緒方さん
初発時の診断はステージ2だったので死のイメージはなかったですね。ただただ再発だけは恐かった。

小澤
最初に浮かんだ「私ですか!?」はどんなニュアンスですか?
 
緒方さん
なぜ、がん!? しかも、舌がん!? タバコは吸わない、お酒も1日1缶くらい。がんになるのは物凄くストレスのかかった人というイメージがありました。

小澤
物理的にも精神的にも私はがんになるタイプじゃないのに、ということですか?

緒方さん
合点がいかなかったですね。

 

 

 

 


◆再発だけは避けたい!◆

小澤
恐い再発を防ぐために何かされましたか?

緒方さん
がんの根を絶やすにはどうしたらいいか模索しました。何が決め手になるか、はっきりつかむことはできませんでしたが、食事とウオーキングに取り組みました。

小澤
食事を見直された?

緒方さん
栄養成分について学んだり、とにかく大量に人参ジュースを飲みました。(笑) 他には、足の浮腫のケアをしました。

小澤
フィジカル面で再発しない体づくりを目指された。

緒方さん
この頃はメンタルにはまだ思いが及ばなかったですね。

小澤
体のケアについては、がんになってから学ばれたのですか? それとも以前から関心があったのですか?

緒方さん
すごく関心はありました。介護の仕事では入所者さんのことを理解するために、その方の性格や生活歴を確認しておく作業をしていました。例えば夜間に転倒しやすい人なら、その人のサマリー(情報)をチェックして、薬剤のせいなのか?夜間頻尿のせいなのか?など分析していました。

小澤
入所者さんの生活習慣などを把握し、「分析して防ぐ」を日常的に介護に活かしていたのですね。

緒方さん
それで、時系列的に記録をするためにブログを始めました。自分で分析する材料として。

小澤
なるほど!

 

 

2023年9月「とにかく元気が出る講演会 大阪」にて

 

 


◆短期間での再発◆

小澤
ところが手術から4ヶ月ほどで転移が見つかりました。このときはどんな心境でしたか?

緒方さん
舌がんの部分切除の場合は術後1ヶ月ほどで復職される方が多いのですが、私は用心して翌年2月(術後3ヶ月弱)に仕事復帰しました。忙しい職場なので体力的にハードでした。すると、リンパが腫れ出したのです。イヤな感じがしました。疲れているからかなと思うものの、消えないので不安でした。

診察してもらったらリンパ転移で、手術しましょうとなりました。もうショックでした。こんなに早く再発・・・。ハードに働き過ぎてしまったことを後悔しました。急激にがんの恐ろしさが襲ってきた瞬間でした。

小澤
がんは甘くない!という認識になった。何か対策は変わりましたか?

緒方さん
摂取する食材は少し変更しました。あと、やたらネットやSNSで舌がん体験談を漁りました。亡くなられた情報を見ると不安が募りました。転移がわかってからの看護師さんのちょっとした態度や言動も気になりました。「もうこの人、あかんのや」を顔に滲ませているとか、勝手に察してしまって。

小澤
医療者の何気ない態度でも、不安が増幅しますよね。

緒方さん
主治医は予後の悪さを想定し、術後に放射線と抗がん剤を勧めました。自然療法派の主人の意見もあって、いったん標準治療は保留にしました。

小澤
緒方さん自身も自然療法に賛成だったのですか?

緒方さん
情報が錯綜して混乱していました。死が迫ってくる恐怖感もあって焦っていたのだと思います。ネット上の患者コミュニティで応援してもらったのですが、そのコミュニティの同じがんの人が短期間で転移して予後不良いうのが続いたこともあって、「私のがんもそんなに悪いのか・・・」と切実になりました。

小澤
初発のときには感じなかった死の恐怖の輪郭がはっきりしてきた。

緒方さん
一方で、放射線と抗がん剤治療でよくなっている人もいたので、まだ闘える武器はあると期待もしました。気持ちが揺れ動く日々でした。

 

 

 

 


◆標準治療+自然療法◆

小澤
そうしているうちにリンパ転移の術後まもなく4cmのがんが見つかりました。

緒方さん
退院後10日くらいで顎が腫れ出しました。リンパ節を取ったのになんで腫れたのか?・・・主治医もびっくりしたようで、こんな短い間に腫れたのは何百人に1人の割合と、主治医が焦り出しました。病室で待っていたら、主治医と上司の先生の会話が聞こえてきました。「こんな早く腫れるか!」「どういうことや~!」 私はテトリスやりながら待っていましたが、集中できませんでした。

小澤
聞こえちゃったんだ。

緒方さん
ただちに、CTやらMR、PET撮りましょうということで画像を見たら、主人と二人で言葉を失いました。すぐさま、主人の知り合いで自然療法に詳しい方々に会いに行きました。乳酸酵素、ケイ素水、温熱マット、水素生成器について科学的に教えてもらいました。一方、主治医からは早く放射線化学療法をしましょうと促されました。

主人は自然療法に傾いていましたが、最終的に決めるのは私なので、後悔のないように標準治療と自然療法を並行してやっていくことにしました。

小澤
やらないことで後悔したくなかった。放射線と抗がん剤の同時治療はどうでしたか?

緒方さん
治療環境~たとえば、他の患者さんの辛そうな嘔吐が聞こえたり、抗がん剤を準備する看護師さんが防護服を着用していたり~で脳に恐怖心がインプットされてしまいました。実際にだんだん吐き気がして食べられなくなっていきました。唯一食べられたのがたこ焼きでした。(笑) でも、のどの炎症や味覚障害もひどくなって食べること自体を拒否するようになってしまいました。結局、治療の中盤から胃瘻を使いました。

小澤
よくがんばりましたね。

緒方さん
実は入院してすぐに「このままの勢いでがんが進行したら1年の命」と言われました。さすがにその言葉には動揺しました。退院してからいくつかの自然療法やろうと思っていたのが、そんな悠長なことはいってられない。乳酸酵素、ケイ素水、温熱マット、水素生成器を病室に持ち込みました。

小澤
なになに! 病院のベッドに温熱マットも敷いたの!? その病院は寛容ですね。

緒方さん
余命の話もしたので何をやってもらっても構いません、という対応でした。ラッキーでした。(笑)

小澤
余命予想までした主治医としては、患者さんが後悔のないよう希望を聞き入れることにしたのかな。慌ただしく事前リサーチしておいてよかったですね。

緒方さん
そうなんです。(笑)

小澤
治療の効果はどうだったのですか?

緒方さん
予想よりレスポンスがよく、1週間くらいで縮小しました。

小澤
大きくなるのも速かったけど、小さくなるのも速かった。

緒方さん
持ち込んだ温熱もとてもよかったです。寝る前に体温が37度になったので、看護師さんに「なんで毎日微熱があるの!?」と心配されました。(笑) 大阪ならではですが、看護師さんとボケ:ツッコミもやっていて(笑)、よく笑っていたのもよかったと思います。

小澤
入院環境は恵まれていたようですね。

緒方さん
ラウンジで舌がんっぽいおばあちゃんに声掛けて友達になり、愚痴を言い合ったりもしました。介護職で習った不安の対処法を思い出して実行しました。友達をつくる、共感、手作業などして何かに集中する。

小澤
介護職の経験はすごく役立ちましたね。患者として病気の渦にのみ込まれてしまうのではなく、介護キャリアのおかげで客観視できたようですね。

緒方さん
発病前にケアマネジャーの試験勉強をしてもいたので、理論と現場の実践経験を活かすことができました。

 

 

 



◆まだ残ってた!◆

小澤
つらい副作用があったものの予定していた治療は完遂されたのですか?

緒方さん
治療を終えたときは体重が13kg減りましたが、無事退院となりました。退院して1ヶ月も経たない頃、左頸部が腫れてきました。生検したらクラス3で、画像を撮ると顎下に1.5cmの腫瘍が残っていました。顔の変形を伴う顎の手術とオプジーボ治療と選択肢がふたつ提示されました。

小澤
そこで例の“混迷の8月”となったのですね。

緒方さん
もうあのときは、舟に入り込む水を必死にかき出しているようでした。かき出しても、かき出しても、水が入ってきて沈んでいく。どうしよう~。

小澤
たしかにあのときの緒方さんは切羽詰まった様子でした。

緒方さん
姉は「残骸じゃないの!?」 夫は「治ってるから何もやらなくていい」とか言うんです。私は治るためなら顔を切ってもいいかな、いややっぱり先にオプジーボか・・・もう混乱して寝れない状態でした。手術を勧めたドクターの言葉が恐くて、頭の中でリフレインしてました。

小澤
神経症(昔風にいえばノイローゼ)っぽくなってたのですね。

緒方さん
姉が紹介してくれた統合医療のクリニック(大阪 みうらクリニック)で相談したら、いままでとは異なる思考を持てました。「治った後のよいイメージをする」「五感が喜ぶことをする」 なにか希望が持てました。

小澤
混迷の暗闇に光が射した。

緒方さん
杉浦貴之さんのメッセンジャーを読んで、明るく、ポジティブな人が治っている印象がありました。いずみの会(がん患者会 名古屋)にも電話してお話しました。末期がんや余命宣告されても生きている人が“実在”する。心強く希望になり、行動につながりました。

小澤
アクティブに行動されましたね。

緒方さん
遠出するのにワクワクしました。いずみの会での個人相談の帰りに停車している近鉄特急「ひのとり」を見て、リボーン洞戸には絶対これに乗って行く!とテンション上がりました。(笑) もちろんすぐさま予約しました。

小澤
大阪ー名古屋の日帰りでも小学生みたいにワクワクしたのですね。(笑)

緒方さん
外に出て人に会って話をして、もう楽しくなってきたし、温かいエネルギーを感じたし、思考が整理整頓できました。そして、自分が自分の人生の主人公に戻ったら治る!と思えました。はじめて生き方に目を向けるようになりました。

小澤
ああ、それまでは治療法や体への物理的なアプローチにフォーカスしていたけど、このときが生き方に目を向けるスタートになったのですね。

緒方さん
本当の意味で治療法の選択も自分で決めていなかった。リボーン洞戸は自分が選択して自分で行った。だからすごくワクワクしたんです。リボーン洞戸滞在で、「言いたいことをちゃんと口に出して言ったらステージ4でも治る」という気持ちが芽生えてきました。それで、帰りの電車で「がんこ、がんばる、がまん」を変えるにはどうしたらいいか考えました。

小澤
リボーン洞戸の絵を描かれましたよね。

緒方さん
ざわざわ落ち着かない気持ちの波を穏やかにするには心が集中できることをしようと思いました。帰宅してから洞戸の風景画を描きました。(緒方さんは学生時代にデザインを専攻されていた)

 

 

 

 



◆人生の主人公に戻らせてくれた家族◆

小澤
生き方に目を向けだしてから、緒方さん自身はどんな変化がありましたか?

緒方さん
旅に出ました。それまで思考で禁止令を出していたのですが、五感を優先するようにしました。気がつくと姉に北海道に行きたいと言っていました。姉が準備して同行してくれましたが、旅程はノープランでした。現地で馬を見たら「乗りたい!」って気持ちが昂ぶりました。今まで味わったことのない楽しさ。景色も素晴らしい。人生、楽しまないと損だな! 意識が裏返ったように変わりました。

小澤
具体的に意識がどう変わりました?

緒方さん
「がんが恐い!」に頭の中を占拠されていたのが、北海道ドライブ中は、がんのことはまったく意識に上らなかった。目の前のイチョウ並木を見ているだけで、がんのことを考えようとしても透明になっていく。体が完全に回復してなくて味覚も戻ってなかったのですが、ドーパミンとセロトニンとオキシトシンで脳内が充たされているような感じ。(笑)

 

 

 


小澤
幸せホルモンだらけだ。(笑)

緒方さん
3日間の旅でしたが全てから解放されて自由な感覚でした。がん保険で入ったお金で買い物もでき、義兄が旅費を全部出してくれたこともありましたけど。(笑)

小澤
OFFになっていたスイッチが北海道でパチン!とONになったようですね。それほどまでに自分に制限をかけて、緒方さん本来の自由な感覚をOFFにしていたのはなぜですか?

緒方さん
家庭を守るために過度にがまんしていたからかもしれません。主人が独立起業したので、サラリーマンのように収入が安定しないかもと節制しました。少しでも助けになればと私も働き出しました。がん保険は勤め先の労働組合で紹介され、二つ加入したのです。その保険金でそれまでのがまんを解消した感じですね。(笑)

小澤
もともと、がまんすることを自分に強いる生き方をしていたわけではなかったのですか?

緒方さん
自由が好きで想像力豊かな子どもでした。家計のやりくりにイライラしている母の姿は見ていました。わりと「~ねばならない」が母からあったので、それに反発して自由を求めていたのかもしれません。でも親になった自分も似たようなことしているなと思うことがあります。

小澤
お母さんの家庭の守り方を見て育ったから、同じ状況になればそのやり方を使いますよね。

緒方さん
祖母も母もがんを経験していて、母はがんで胃を全摘しました。そこから人生が変わってブティックに勤め出しました。母は洋服が好きなのです。それからの母はキラキラしていました。母のがん体験は、私の中で支えになっていたと思います。

小澤
なんだ、母娘で同じようなストーリーじゃないですか!(笑)

緒方さん
そうそう、母から助言をもらっていました。「がんはぐじぐじ考えたらあかんねん」「あんたの原因は○○だから、もう大丈夫なはずや」 家族のなかで「大丈夫」「治ってる」という言葉は多かったですね。治るのが当たり前、という雰囲気でした。

小澤
それは心強かったですね。かえって病院のドクターや看護師さんの言動に動揺させられましたね。(笑)

緒方さん
主人や姉も私を奮い立たせる言葉掛けしつつ、寄り添いもしてくれた。

小澤
がんをきっかけに緒方さん本来の楽しく生きることにエネルギーを使うようになった。治すことに我慢強さを持ち込まなかったのが、緒方さんにとってはよかったようですね。

緒方さん
姉が洗濯物をきっちりたたんでいる私を見て、「あんたじゃない。あんたはもっと雑い子や! そこなおしたら治るわ!」 一緒に旅行する後半になって、「あ、雑さが戻ってきたね。もうなれへんわ」(笑) 直感力のある家族環境には助けられました。

小澤
ところが緒方さんは思考が優位になっていた。

緒方さん
そうなんですよ! もともと右脳派(感性)タイプなのに左脳優位になってしまってたんですね。自分じゃなかったですね。

小澤
緒方さんにとって最強の生存能力を発揮する脳内環境、体内環境、生活環境をそろえましたね! 

緒方さん
楽しいことしてると、経過もいいし、顔の艶もいいんです。(笑)

小澤
ひのとり(近鉄特急)効果だね! あれでスイッチが入った!

緒方さん
入っちゃいました!(笑)

 

 

 


近鉄特急 ひのとり

 

 


【編集長感想】


緒方さんにお会いしたのは、“混迷の8月”。緒方さんにとって、生き方とがんなおしを再検証するターニングポイントでした。送ってくださった絵の画像は、面談の記録と共に大切に保存しています。

その後も緒方さんは、北海道~奄美大島まで訪れました。各地で温泉浴、砂湯、泥湯、アーシング、郭林気功、アート制作、動物との触れ合い、講演会・セミナー参加と養生も兼ねられました。

緒方さんはこれからも“旅セラピー”を続けるそうです。

 

 

 

 

 

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