先人たちの奇跡的な治癒は、闘病中の患者さんやご家族にとって心強いです。

 

しかし「そのような幸運は自分には起きそうもない」とうつむいてしまう人も少なくはありません。

ところが、彼らの体験は決して特別なものではないのです。

 

なぜなら、彼らに治る能力を発揮させた遺伝子とまったく同じ遺伝子を、あなたはすでにあなたの中に持っているからです。

がんがもたらす恐怖のイメージは、このような体験談に繰り返し触れることで、霧が晴れるように薄くなります。

あなたの歩む道を遮っている霧が薄れ視界が広がれば、あなたはあなたの道を進めます。

 
(1)統計は運命ではない
私は自分が統計に振りまわされて、いかに歪んだ思考をしていたかもわかってきた。だいぶ前に、ジムという患者の大腸ガンを手術した。私は彼の家族に「長くて6ヶ月の命ですよ」と伝えたー当時は私もまだ患者の余命を計算していた。だが、ジムの場合、私の誤算となった。何度か彼は私の診察を受けにきたが、その都度私は「ああ、やはり再発したか」と考えたものだ。しかしそのたびごとに大した問題もなかった。私が念のためにがんの継続管理をしようと言っても、彼は聞かなかった。生活に追われ、統計に基づいた私の治療など受ける暇がなかったのである。あれからかれこれ10年以上になるが、ジムは健在だ。

別の極端な例だが、アーヴィングという患者がいた。彼は統計に基づいた終身所得投資の経済顧問だった。肝臓がんで、主治医が統計上の予測を告げたとたん、彼は生きるための闘いを放棄した。「生涯を通じ、統計に基づいた予測を立てて私は暮らしてきました。統計によると、私は死ぬことになっている。統計の予想をくつがえすことは、私自身の人生を否定することになります」と言って、彼は家庭に戻って死んだ。

がんの統計で「自力による治癒」が資料にほとんど入っていないことも問題だ。そのような例で報告されたのは大腸がん、直腸がんでは、1900年から1966年の間に、たった七例だった。実際にはそれをはるかに上まわるはずである。思いがけず治った患者は医者のところへは戻らない。たとえ戻っても、そういうケースを誤診と判断する医者が多い。その上、そのようなケースは医学雑誌に発表するには、〝神秘的〟にすぎる、とほとんどの医者は考える。そして、それは他の〝絶望的な〟患者には通用しない例だ、と勝手に決めてしまう。

私は視点を変えて、これらの稀少例に焦点を当ててみた。すると、あちこちで奇跡的な治癒のことが耳に入ってきた。私がそうした症例を信じることがわかると、人びとはこの医師なら話しても大丈夫だ、と安心するのだ。こんなこともあった。地元の教会で講演したあと、一人の男性が「あとで読んでください」と小声で言って、私にメモをわたして去った。そこには次のように書いてあった。
 
10年ほど前、あなたの同僚の医師から父が手術を受けました。胃の一部をとったものの、立ち合って下さったあなたの話では、父のリンパ腺はすでにがんにおかされている、ということでした。長男である私に「他の家族にも知らせるように」と、あなたはおっしゃいました。しかし、私は知らせませんでした・・・。

先週の日曜日、すばらしいバースデーパーティーを父のために開きました。現在父は85歳、80歳の母がそばでニコニコしていました。

ファイルを探した。この男性は10年以上も前に亡くなっているもの、と私たちは思いこんでいた。膵臓がんがリンパ節にも転移していた。病理のスライドをもう一度調べてみたが、間違いなかった。

 


(2)数値だけではわからない
医者がどのように言おうとも、私は人間の生命、病状について数値だけでわかるとは考えていません。自分自身が大病を繰り返してきて、7度も手術していましたし、手術中に臨死を体験したこともある。だから、自分なりの死生観というものがあったわけなんです。
 
そう、あれは最後の7度目の手術中でした。そのときの手術では腹部を大きく十字に切ったわけです。医師はなにもいいませんでしたが、どうやら手術中に一瞬、心臓が止まった。それは実感ですね。

奇妙なもので、私自身が私の受けている手術をはるか遠いかなたから眺めていたって感じがあったんです。医師たちと一緒に自分の臓器を一つ一つ眺めている。そして、ああ、これが俺のオペなんだ、などと考えているんですね。心臓が一瞬止まった、その処置をしている医師たちの姿を見た記憶がある。

そのときの執刀医が旧制高等学校の先輩でしたので、術後に聞きました。
「手術中に心臓が止まったんじゃないですか?」
彼は否定もせず、曖昧に笑っていました。

そんな体験をしてきますと、人間の身体、生命について科学、医学では割り切れぬなにかを確信するようになります。1プラス1イコール2というようにピシッと勘定の合うものではない、と。
 
妻のがんに即して考えるなら、人間には彼岸と此岸が交差する瞬間がある、と。医学的には駄目でも、まだまだ生きる領域にいるという場合もある、妻はその領域にいる、と私には思えました。
 
生活習慣もほとんど病気前と変えましたね。
 
世の中には原因のない出来事というのはないはずです。がん患者すべてに共通する原因は現在のところ解明されていないとすれば、もしかしたら個体別、個人個人によってちがった原因があるのかもしれません。となると、これの生活のどこかに原因が潜んでいたと考えていいでしょう。それなら、とりあえず発病前の生活を全部やめてみたらどうや、と。今までの生活と正反対の暮らしにしたらいい。

 


(3)魂を満足させる
「スージーは、私と会う前に不治の癌だと宣告されたんです。医者があと6ヶ月の命だと言ったので、彼女はマウイで死のうとここにやってきたのです。その時僕たちは出会い、二人とも動物が大好きだということがわかったのです。スージーは漢方医に通い始めました。その先生は僕に、処方している薬の他に、何か彼女の魂を満足させることをすると効果があるでしょうと言ったのです。

そこで私はスージーをペットショップに連れていくようになりました。そして檻の奥の方に具合の悪そうな犬がいると、私はお店の人に、もらって帰ってもいいかと尋ねました。スージーはそうした生き物たちの看護をしているうちに元気を取り戻し始め、私たちはほとんど毎日、愛情と世話の必要な動物を見つけたり、もらったりするようになりました。

間違いなく、何か目に見えない力が私たちにあの『病気の子たち』を送ってきたんです。車にはねられた猫とか、親とはぐれた鹿とか、ありとあらゆる動物です。そんなに経たないうちに、ここはかなりの光景になっていましたね。

それから、病気の子たちの面倒を見れば見るほど、スージーの痛みが減っていくことに気がつきました。そして自分の目的を発見し、そこに喜びと満足を得たのです。それからもっと世話をするようになり、しまいにはほとんどの時間をこの動物たちと過ごすようになりました。

その後、病院に行くと、医者はいくつかの検査の後、もう癌はないといったのです」

「どのくらい前のことですか?」

「13年前です」

私たちは、また家の中を通り抜け、私の車へと向かった。机の上には請求書の山が見えた。
「公的資金を受けていますか?」

「いいえ、すべて献金でまかなっています」とシルヴァンは笑った。

「請求書の山を見たんですね。いつどうやってあの請求書が支払われるか、私もよくわからないのですが、なぜかどうにかやっています。でも一番重要なことは、私たちが幸福だということです。好きなことをしているんです。私たちは、私たちのすべきことをし、宇宙がどうにかして私たちの面倒を見てくださるのです」

 


(4)選ぶ
がん患者は、自分の生命をコントロールできないと感じているので、自らの細胞が病気に抵抗している、とは考えられないのだ。だから、選ぶという、ごく簡単なことでもそれ自体が転機になり得る。

ハーバート・バウの場合は、あまり気分が悪くなるので化学療法をやめようと決心した時に、その転機が訪れた。彼の担当の腫瘍専門医は「冗談じゃない。すぐに死んじゃいますよ」と言った。それを聞いたハウはひどく怒り、その医者をぶんなぐろうとした。しかし、そうはせずに外に出てジョギングを始めたのである。ランニング、ボート、山登り、その他、ハウはすべてのエネルギーを人生に、生きぬくことにつぎこんだ。7年後、彼は全快した。


(5)生活を変えれば、身体がよくなる
「生活を変えれば、身体がよくなる」
このことを、私が一番痛感したのは、「ホスピス」に勤めていたときです。

ホスピスというのは、「あと半年の命」と診断された末期のがん患者さんが入院する病院です。そこでは、がんを治すための抗がん剤や放射線などの強い治療をせず、痛みや辛さなどの生活に困る部分の治療だけをします。と聞くと、入院してきた人はどんどん病気が進んで、具合が悪くなって、死ぬのを待つばかりなのではないかと、想像されるのではないでしょうか。ところが、実際には、普通の病院からホスピスに転院して来た途端、びっくりするほど奇跡的に回復する人がたくさんいるのです。

「あと1ヶ月の命です」といわれて転院して来た90歳のおばあさんは、ホスピスに来たばかりのころ、声を出すこともできず、寝返りも打てないどころか、指先を動かすのがやっとという状態でした。なのに、ホスピスで手厚い看護を受けたところ、1年後には杖一本で元気に歩けるようになって、大声で笑ったりお喋りすることができるようになったのです。8年経った今でも、おばあさんは元気です。

大学病院で、「ありとあらゆる治療をしましたが、痛みがとれません。ホスピスで診てもらってください」といわれて転院して来た人は、入院したときには、5000mgという大量のモルヒネを使っていました。5000mgといってもわかりにくいかもしれませんが、「普通、はじめてモルヒネを使い始めるときの量が10mg。かなり痛みが強い人でも1000mg以上使うことは、まれ」といえば、どんなにすごい量か、おわかりになるでしょうか。ところが、この方は、ホスピスに入院してさまざまなストレスがなくなった途端、あれよあれよという間に痛みが薄らいで、ついにモルヒネなしでも痛みは出なくなったのです。

ある人は、がんが背中の骨に転移して神経が切れたために、下半身が完全に麻痺していました。普通、神経が切れると治らないので、誰もが、もう足が動くようにはならないだろうと思っていました。ところが、この方もホスピスに転院してきて、それまでの無理な生活を改善し、毎日楽しく暮らすようになったら、ある日突然、足が動くようになったのです。

また、ある人は、腹膜にできたがんのためにまるで臨月のようにパンパンに膨れたお腹になってしまい、「あと3ヶ月の命」といわれていました。そのため、ホスピスの外来にかかることになったのです。「少しでも、快適な生活ができるように」と外来で細かな生活指導をしたところ、9年も生きることができました。

最初、私は、「奇跡に違いない。なんで、こんなに不思議なことが次々と起こったのだろう」と思っていました。ところが、何度も何度も、大きな奇跡や小さな奇跡と出会ううちに、「これは、奇跡のように見えるけど、奇跡でもなんでもなかったんだ。体調がよくなった患者さんは、皆、自分の身体、自分の生活と真剣に向き合っていた。奇跡は、おこり得ることだったのだ」ということがわかってきました。

それからは、「この患者さんが病気になった原因は何なのだろう。どんなところを改善すればいいのかしら」と、常に考えるようになりました。同時に、患者さんに対しても、「こういうことに気をつけて、毎日を過ごしてごらんなさい」とか、「こういう風に、考え方を少し変えて、身体とつき合ってみたらどうかしら」と、意識的に指導したのです。すると、「奇跡のような回復」を見せる患者さんの数は格段に増えました!


(6)病気を忘れるとき病気が治る
最近、ある医師のかたから、とても感動的な、そして不思議な話を聞きました。

この医師は、東京で長いこと開業していらっしゃる70代のかたです。このかたの診療所には、ホームドクターのわりには、大病院級の重い病気のかたが多くおとずれているのですが、そのなかに、ご夫妻で癌にかかっているかたがいらっしゃるそうです。

最初は、奥さんが進行性の癌で、医学的な常識では余命3ヶ月という症状でやってきました。

その夫は若いころから、良くいえば冒険家、悪くいえば大ぶろしきで、いろんな事業や商売に手を出しては一文無しになったり、借金取りに追いかけられたり、たまに仕事がうまくいくと女遊びや博打に走り、いっこうに家族をかえりみなかったそうです。

そのため、三人いる娘の世話や年老いた母の面倒はもとより、あるときは一銭も家に入れない夫にかわって妻がはたらき。家計をささえていたらしい。

その妻が、気がついたときには深刻な段階の癌であったー。夫は自分のこれまでのぐうたらな生きかたを後悔し、そして妻の病状を心配するあまり、自分の内部に抱えている爆弾にまったく気づきませんでした。やはり体の不調を感じてその診療所をたずねたところ、妻よりも重い癌にかかっていたのでした。

長年の経験から、そのお医者さんは、この男には事実を伝えたほうがいい、と感じたそうです。

事実を告げられた夫は、まず自分の病状よりも、これから遺されるであろう妻子のことを心底悩み、それまでの罪滅ぼしの意味もあって、思いつきで手をひろげたり未回収になっている手形の決済のため、いますぐにでも入院してベッドにはりつけにならなければならない体で、全国を駆けまわりはじめたのです。

それは鬼気せまる勢いであったといいます。そうしているうちに、不思議なことに、それまでエコーではっきり映っていた腫瘍が少しずつ小さくなり、そして影もうすくなってきました。

一方、妻は、夫の病状を知り、またそれをおして家族のために体に鞭打ってはたらきまわる状態を見て、夫の身を案ずるあまり、まったく自分の体の不調を訴えなくなったのです。そして検査してみると、妻もまた、なぜだか説明のつかない不可思議な癌の自然退縮が発見されました。

二人とも癌が小さくなり、当初の予測をくつがえして、2年たったいまも、体のなかに存在はしても休火山のようにおとなしくなった癌細胞と、どうやらうまく共存しているらしいのです。

戦中から戦後まもなくの科学万能主義の医学を学び、民間療法や東洋医学をどうしても受け入れられない典型的な西洋医学のこのお医者さんは、もし自分の患者さんでなかったら、この話を聞いても眉唾か初期の診断ミスと思って信じなかっただろう、と言っています。

ぼくは、この話を聞いたとき、どこかで読んだ文章の一節を思い出していました。たしか、〈病気を忘れるとき病気が治る〉というようなことだったと思います。

相手の病気を心配したり、家族の生活をささえるためにはたらきまわっているあいだは、自分の病気のことをいっさい考えなかったのではないでしょうか。そうしているうちに癌も少しずつ姿を消していった、というのでしょう。つまり、心が病気からはなれていったとき病からも解き放たれた、ということができるかもしれません。これはひとつの奇蹟のようなめずらしい例ですが、本当の話だけに考えさせられました。

こうなると、〈心〉と〈体〉は深くかかわりあい、人の〈命〉をささえている、あるいはかたちづくっている、と、いえるのではないでしょうか。


■療法より心の姿勢

6つの実例を紹介した。私はこれを読んでこんなふうに感じました。

「なにをやったかよりも、どのように病気や自分の人生と向き合い、どんな心の姿勢で生きたか」

それこそが重要なのだと。


【出典・引用】


(1) 統計は運命ではない
「奇跡的治癒とはなにか」
バーニー・シーゲル 日本教文社

(2) 数値だけではわからない
「がん患者学」 柳原和子 晶文社
(3) 魂を満足させる
「人生の答えはいつも私の中にある」
アラン・コーエン kkベストセラーズ

(4) 選ぶ
「奇跡的治癒とはなにか」
バーニー・シーゲル 日本教文社

(5) 生活を変えれば、身体がよくなる
「がんに奇跡を起こす本」
森津純子 kkベストセラーズ

(6) 病気を忘れるとき病気が治る
「大河の一滴」 五木寛之 幻冬舎

 

 

 

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