2017年の忘年会、27日に行われました。
楽しい会、企画して声掛けして、ビンゴのプレゼントの用意、司会などなど面倒見てくださった皆様、
参加して頂いた皆様もありがとうございました。
ビンゴでプレゼントゲットの皆さん、うらやましいです。
そして、今年も藤沢さんの作品のプレゼントがありました。これをゲットした人もウラヤマシです。
皆様良いお年をお迎えください。
2017年の忘年会、27日に行われました。
楽しい会、企画して声掛けして、ビンゴのプレゼントの用意、司会などなど面倒見てくださった皆様、
参加して頂いた皆様もありがとうございました。
ビンゴでプレゼントゲットの皆さん、うらやましいです。
そして、今年も藤沢さんの作品のプレゼントがありました。これをゲットした人もウラヤマシです。
皆様良いお年をお迎えください。
たとえば書籍にはこんなような解説があります。
自分の中心に向かってくる力(攻撃)を横にずらして無力化する。これを化勁という……
なるほど。です。でも実際にやろうとすると簡単ではありません。横にずらそうとしても動かない。とか。接触点が上滑りしてしまう、など等。
できている人を見れば簡単そうに見えるのに、なぜかできない。
できる人はできて、できない人は永遠にできないような感じがしてしまうのです。
では、なぜかできてしまう人と、永遠にできそうもない人を隔てているのは何か。それは「手触り」ではないかと思うのです。相手と手を合わせている接触点の手触り、つまり触り方が分かっている人は相手の勁を察知することができて相手を動かすことができるのです。
手触りが大事だよ、ということは本にも書いてあります。
たとえば、
推手の「推」は「押す」ではない。相手に触れている手は押すのでなく、情報を感覚する。
とか。
指先には薄紙に覆われていても紙一枚の段差を感覚することができる感受性がある。それを使うのだ。とか。
実際、試してみれば紙の下の段差は簡単に感じ取ることができます。
点字のわずかな凸凹も、触ってみれば誰もが感じることができるし、少し訓練すればなぞって読むこともできるようになるでしょう。
ただ、問題はその感受性を推手の実践のなかでどうやって実現するか、なのですね。
なので、推手の技法を練習する前に、まず、相手の力の受け方、触りかたの練習をしたほうがいいのではないか、と思うようになったわけです。
そんなのやっているうちに分かるようになる。というのが普通の考え方なのかもしれません。でも、入り口でそういう練習をしておけば、できない人が永遠にできないままでいることはないのではないか、と思うのです。