開催決定の決め手の一つとなった


安倍総理の最終プレゼンです。


日本の首相は、世界の不安に対して、


以下のように「安心、安全」を担保しました。




東京、そしてフクシマの状況について、


「新聞のヘッドラインに振り回されず、


事実を見てください」


とおっしゃったそうな。





私も同じように思います。





今日から、当分の間、


新聞のヘッドラインは


「2020東京オリンピック開催決定」


で埋め尽くされます。


テレビ番組もそうです。


その間、原発問題はどうなっているのか、


私たちは「事実」に目を向け、


耳を傾けなくてはならない。





汚染水の問題は、折れたクレーンの問題は、


すべてが「応急」「仮設」のままである施設は、


漏れ続ける放射能の問題は、


作業員の健康の問題は、


そして、


高い線量の地域にとどまっている方々の生活は…。





私たちは新聞のヘッドラインに振り回されず、


「事実」に目を向けなければなりません。





首相、


一国の首相が世界に向けて宣言した


「保証」の意味は大きい。


国外に向けてこれだけおっしゃったのですから、


国内においても、同じことを担保してください。


そして、


安心して7年後を迎えられるよう、


よろしくお願いいたします。







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委員長、ならびにIOC委員の皆様、

東京で、この今も、そして2020年を迎えても


世界有数の安全な都市、東京で大会を開けますならば、


それは私どもにとってこのうえない名誉となるでありましょう。




フクシマについて、お案じの向きには、


私から保証をいたします。


状況は、統御されています。


東京には、いかなる悪影響にしろ、


これまで及ぼしたことはなく、


今後とも、及ぼすことはありません。





さらに申し上げます。


ほかの、どんな競技場とも似ていない


真新しいスタジアムから、


確かな財政措置に至るまで、


2020年東京大会は、その確実な実行が、


確証されたものとなります。





けれども私は本日、


もっとはるかに重要な、


あるメッセージを携えてまいりました。




それは、私ども日本人こそは、


オリンピック運動を、


真に信奉する者たちだということであります。


この私にしてからが、ひとつの好例です。




私が大学に入ったのは、1973年、そして始めたのが、


アーチェリーでした。


一体どうしてだったか、おわかりでしょうか。


その前の年、ミュンヘンで、


オリンピックの歴史では久方ぶりに、アーチェリーが、


オリンピック競技として復活したということがあったのです。


つまり私のオリンピックへの愛たるや、


そのとき、すでに確固たるものだった。


それが、窺えるわけであります。


いまも、こうして目を瞑りますと、


1964年東京大会開会式の情景が、まざまざと蘇ります。


いっせいに放たれた、何千という鳩。


紺碧の空高く、5つのジェット機が描いた五輪の輪。


何もかも、


わずか10歳だった私の、目を見張らせるものでした。





スポーツこそは、世界をつなぐ。


そして万人に、等しい機会を与えるものが


スポーツであると、私たちは学びました。


オリンピックの遺産とは、建築物ばかりをいうのではない。


国家を挙げて推進した、


あれこれのプロジェクトのことだけいうのでもなくて、


それは、グローバルなビジョンをもつことだ、


そして、人間への投資をすることだと、


オリンピックの精神は私たちに教えました。





だからこそ、その翌年です。


日本は、ボランティアの組織を拵えました。


広く、遠くへと、


スポーツのメッセージを送り届ける仕事に乗り出したのです。


以来、3000 人にも及ぶ日本の若者が、


スポーツのインストラクターとして働きます。


赴任した先の国は、80を超える数に上ります。


働きを通じ、


100万を超す人々の、心の琴線に触れたのです。





敬愛する IOC委員の皆様に申し上げます。

2020年に東京を選ぶとは、オリンピック運動の、


ひとつの新しい、


力強い推進力を選ぶことを意味します。


なぜならば、我々が実施しようとしている


「スポーツ・フォー・トゥモロー」という新しいプランのもと、


日本の若者は、


もっとたくさん、世界へ出て行くからです。





学校をつくる手助けをするでしょう。


スポーツの道具を、提供するでしょう。


体育のカリキュラムを、


生み出すお手伝いをすることでしょう。


やがて、オリンピックの聖火が


2020年に東京へやってくるころまでには、


彼らはスポーツの悦びを、100を超す国々で、


1000万になんなんとする人々へ、


直接届けているはずなのです。





きょう、東京を選ぶということ。


それはオリンピック運動の信奉者を、


情熱と、誇りに満ち、強固な信奉者を、


選ぶことにほかなりません。


スポーツの力によって、


世界をより良い場所にせんとするため


IOCとともに働くことを、強くこいねがう、


そういう国を選ぶことを意味するのです。


みなさんと働く準備が、私たちにはできています。

有難うございました。





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ここにも、ここにも、同じように思う方がいらっしゃったようです。

彼がいなかったら、
もしかしたら、今、私は生きていないかもしれない。
私の家族はバラバラになっていたかもしれない。
難民になっていたかもしれない。

今、まがりなりにも日本が日本であり続けられるのは、
彼が「現場」でふんばってくれたから。

ありがとうございました。
国葬にしてもバチあたらないと思う。
少なくとも、東電は社葬にするべし。

一生感謝します。
合掌。

今朝テレビを見ていたら、

福島に残り続け、

看護師になった娘を持つ両親が

避難先の千葉県から福島県内の別の市に

戻る決心をしたという話を取り上げていた。

「娘の決断に背中を押されて

家族がまた一つになれた」のだとか。



これは美談なんだろうか。


この親の悲しくて苦しい決断に、

私は涙を抑えられない。

自分たちは、娘を避難させたいのだ。

娘のために、2年間、身をもって避難し、

娘がいつでも避難できる場所を用意していた。

娘の将来のために。

でも。

もはや娘の決意が固いと知るや、

親たちは、娘の「今」を支えるほうに転じた。

今、せめて今だけでも、娘を幸せにしたい。

どうなるかわからない「娘の将来」より、

今苦しんでいる「娘の今」に寄り添いたい。

親としての価値観を捨ててまで。

家族だから。

どんなに情けない思いをしただろう。

娘の人生を否定しないで、

自分たちの人生を否定することを選んだ

親たちの愛。



最後まで反対したのに、

志願して戦争に行く息子と喧嘩して

出征の朝見送りに出なかった父親が

息子が乗った列車に向かって畑の真ん中から

「万歳」を唱えるドラマ、あったな。