おはようございます。
今朝は久しぶりにクリリンと瞑想。
毎朝30分くらいですがとてもいいものです。
瞑想で心の安定を求める人がいます。
瞑想をすれば
心が落ち着き穏やかになり
清々しい気持ちにもなります
気持ちよく一日を送れるようになるでしょう。
しかし
瞑想をすると、落ち着くから 心が安定するからといって
瞑想を安定剤のように用いては意味がないと感じます。
いくら瞑想をして心が安定したように思えても
本当の心は歪み悶え苦しんでいる。
自らの想念によって作った心の霞と歪みは
自らの意思によって祓い整えていくことが自然なのです。
たとえ瞑想によって今の苦しみから一時的に開放されたとしても
メッキの上塗りは時とともに剥がれ落ちる
いずれまた向き合わなければならない時が来る
仏教でいう六根から生じる人間の多くの精神的感情的な心の歪み
自らのとらえ方が苦と楽を分ける
どのように捉えるかは中道という秤の針が自己に傾いているから
自らの霞や歪みは、自ら気づき、そして次からの行動にかかっている
理不尽な経験をすれば、誰だってそのことが心の傷となりそれが執着となって行く
意識を変えて見ることで、多少は許すことができたとしても
いざ現実と向き合うと心の奥から恨み憎しみなどの感情が湧き上がってくる。
頭では許していても、心では許していないのである。
心から許すにはどうしたらよいのだろうか?
「生きるとは、本当に苦しいものだ」
その苦しみに向き合うことを心は望んでいる
向き合うことで意味のあるものに変わっていく
そうでなければ生きている意味などない
多くの人の心に灯りがともりますように 如是我聞