人生を楽しいと感じたことはあります。
それでもその多くは、
早く終わって欲しい時間ばかりでした。
この年度を耐えればクラス替えがある。
この作業が永遠に続くことはない。
終わりがあるということが、
人生の辛苦に耐えるよすがでした。
何なら人生も早く終えたい。
そういう思いが根底にあります。
黒歴史ばかりが思い出されます。
そのような気持ちは希望でもあります。
いつか終わると知っているから耐えられるのです。
命もまたいつか絶えるように。
率直に申し上げて自らの命を持て余しています。
精神の不穏から自死を画策したこともあります。
それでも私は生きています。
金の切れ目が縁の切れ目と捉えています。
使い方を誤っている私の命を、
生きるべき価値ある方にお譲り出来たらいいのに。
心からの切なる願いです。
妻の分の冷食うどん
今宵はデリバリーか外食を頼るつもりでした。
ですが妻は歯科治療を受けてきたばかりで、
麻酔が抜けておらず柔い物を望みました。
冷凍の鍋焼うどんで構わないと言うので、
そのとおりにしました。
私はデリカテッセンを頼ります。
今日はいろいろな意味でやる気を削がれました。
六年前に自死を遂げた長弟は、
その一週間前にデリバリーピザを食べていました。
部屋にはひとつだけ使用したあとの、
その他の練炭が残されていました。
ピザを食べていた時には既に、
自死のブランは完成されていたのでしょう。
本人が決意していたのならそれを否定しません。
あがいて頑張った結末を称えたいほどです。
彼にとっても、
終わりという名の希望だったのでしょう。
お付き合いくださりありがとうございます。
能登半島の復興が進みますよう心より願っております。
加油台湾。