あれから9年も過ぎました。

東日本大震災の大津波による、

福島第一原子力発電所の重大事故。

官邸と東電幹部の間でどのようなやりとりがあったのかは、各メディアの取材によりつまびらかにされました。しかし津波襲撃後の浸水による非常電源喪失、原子炉冷却不可能、それらの事態の収拾に立ち向かった現場のエンジニアたちのことはこれまであまり語られませんでした。

 

ドキュメンタリー映画

 

Fukushima 50

 

放射線に怯えながらも果敢に緊急事態を収束させようと立ち向かった勇敢な50人のエンジニアたちの物語です。彼らは生まれ育った故郷を愛し、ともに暮らす家族を愛しています。私たちと何ら変わりない境遇です。だからこそ家族を守るために、故郷を守るために、この土地を放射能で汚染させてなるものかというモチベーションが彼等を奮い立たせます。決死の覚悟で制御を取り戻そうと、すでにメルトダウンが始まって高温の、さらには致死線量に達した建屋に進入します。放射線を恐れながらも手動によるベントを試みるシーンは圧巻でした。現場を忠実に再現したセットで熱演する豪華俳優陣の緊迫感ある演技も見どころです。特に原作者が映画化に際して監督に求めた吉田所長役・渡辺謙の演技は素晴らしかったです。原発のことを何も知らないくせに口を挟み、意思決定は現場にはないという態度を変えない東電本店と官邸に苛立ち「バカヤロー!」と何度も叫ぶシーンは緊張感がありました。またこの作中、唯一現場に残っていた女性、総務班役の安田成美の演技も光っていました。水道の止まったトイレの掃除を率先したり、総務の立場らしく朗らかに現場の人達に接する姿に母性を感じました。(他意はありません。)蛇足ですが、安田成美はあの不朽の名作「風の谷のナウシカ」のイメージガールオーディションからデビューした人です。"ナウシカ"で描かれる世界、人類の最終戦争から千年後という設定も想像しながら、人類には操れない原子力の千年後にも思いを馳せてみてください。

 

放射線量がさらに高まり、いよいよ最低限の人員だけ残してその他の人達に避難を指示する吉田所長。その場を去り行く人達の申し訳なさに満ちた表情は痛いほど分かります。特に吉田所長の避難指示に対し陸自曹長はこう応じます。「民間の人達が戦っているのに我々が退くわけにはいきません。我々の仕事は国を守ることですから。」それに対して吉田所長はこう応えます。「失礼いたしました。」このやりとりは短いながらもぐっと来るものがありました。自衛隊の是非は置いといて、自衛隊にせよエンジニア達にせよ、ひとりひとりの人がそういう矜持に達していたというのがこの物語の軸になっていると思います。

 

「自然をなめていた、自然を支配したつもりになっていた。」

それだけに留まらず、原子力を支配したつもりになっている電力会社は、その幻想から早く目覚めるべきです。

 

新型コロナによる混乱が無ければ、福島浜通りの復興が新しい段階に入ったことを告げるニュースがふたつありました。ひとつは9年ぶりのJR常磐線の全通運転再開、そしてオリンピック聖火リレーのスタートというセレモニーです。そういうタイミングを狙っての全国公開だったでしょうに、客足が滞るのは残念なことです。原発事故を風化させないための試みなら評価されてよい作品だと思います。また、避難指示が解除されたからといっても安心して帰れない人々がいらっしゃるのも事実です。けっして諸手を挙げて喜べる状況にはないことを肝に銘じておきたいものです。参考までに、映画館の新型コロナ対策として、席をひとつ空けての座席指定となっていました。

 

少し気になるのは作中の避難所に掲示されていたり配られる新聞がほぼ「読売新聞」だったことです。たしかにこの映画の製作には資料提供という形で関与しています。むしろそれが不穏に気に掛かるのです。というのも読売新聞の創始者・正力松太郎という人物は、被爆国日本に、核の平和利用という形で原子力発電所を建設できるよう謀略した米国CIAに関与したことが分かっています。CIAは戦後日本の核アレルギーを和らげるプロパガンダを正力のメディア力(新聞・TV)を通じて行ったとされます。そして正力は原子力委員会委員長、さらに科学技術庁長官として、国内に商用炉を設置することに邁進し、茨城県東海村に建設する方向で押し切ってしまいます。その理由は当時脅威とされた旧ソビエト連邦の核兵器配備に相対する核を、極東の日本に置きたかったという米国の意志に応えたものでした。そして日本が原発列島となったのはみなさん周知のとおりです。そのような歴史を紐解いて見えてくるのは、原発事故の検証と反省はしつつも、それを踏まえてより安全で完璧なフェイルセーフを施した原発を設置するのはやぶさかではないとする何者かの意志です。この映画では放射能を撒き散らしたら人が住めなくなると明言しています。しかし原子炉の冷却が維持され線量も落ち着いた3年後のシーンに、あの有名な「原子力 未来の明るい エネルギー」と書かれた看板が映し出されます。現在は撤去されているそうなのでCGなのかなと思いますが、多くの国民が脱・原発へと進むことを希望している中で、舌の根も乾かぬうちに原発推進の掛け声を新たにしたような印象があり違和を覚えました。せっかくの映画も印象操作に使われた、ということなのでしょうか。

 

蛇足

原発は複数の自治体にまたがって設置されることが多いようです。ひとつの自治体だけが潤うとひがみやっかみが生じるのは想像に難くありません。例えば福島第一は双葉町と大熊町の境に、福島第二は富岡町と楢葉町の境に、といった具合です。福島県浜通り地方中部が広域合併しなかったのはそういう事情によるものでしょう。柏崎刈羽もそうですね。刈羽村が村として存続できるのもそういうことでしょう。

 

 

参考資料

「原発・正力・CIA 機密文書で読む昭和裏面史」 (新潮新書)

 

長文お目通しありがとうございました。