父から電話があったのは一か月前のことでした。

 

二十日が母の一周忌、

十五日が長弟の二周忌です。

墓参りはいつにするのか、

親戚や親しかった知人を呼ぶのか、

そのことを私と次弟で決めてくれとのことでした。

 

お呼びするとしても先方の都合も配慮せねばなりません。

長弟の友人は疎遠だったのでよいとして、

伯父伯母も親しくしているご近所さんも高齢です。

ご足労願うのは気が引けました。

 

そんないきさつから、

次弟と相談して家族だけで済ませようと決めました。

ただひとつ気にかかることがありました。

「親父、車の運転危なっかしいから迎えに来て」

(次弟は運転免許を持っていません)

 

請われたとおり実家に上がりました。

父は待ち構えたかのように突っ立っていました。

約束の時刻ではなかったけれど、

行くならもう行こうと、

まるで生き急いでいるかのようでした。

そのうえ何かにつかまらないと歩けないほど、

足腰が弱っているのを見て驚きました。

 

そして墓苑に到着。

勝手知った管理棟で献花と線香を買い求める父。

少し休ませて外に出ると…

 

「歩けない。お前達だけで行ってきてくれ」

 

と言い絞り、ベンチに座りこんでしまったのです。

墓前までは30mくらいです。

その道程が歩けなくなってしまったとは衝撃でした。

 

母を認知症が蝕みはじめたのは2年以上前のことです。

それからの父の毎日は、

母の介護と家事をこなし張りがあったのでしょう。

そのフットワークの軽さに心配はありませんでした。

 

それが母の急逝後がらりと変化しいくのです。

まず自身の墓を生前に買いました。

(樹木合葬なのです)

膀胱癌の手術を受けました。

胆嚢炎を患い入院しました。

生きるモチベーションは下がる一方だったのでしょう。

 

そんな父が母の介護をしている時期に、

私はこう言ったのです。

 

あなたは亭主関白で母に苦労させたんだよ、

今それが逆転している、因果応報だよ、と。

 

今後どのように推移していっても、

私は前言撤回する気はまったくありません。

 

人は死ぬときが来たら死ぬのです。

私の力でそれを変えられるなどと信じたなら、

それは思い上がり以外の何物でもない気がします。

父はもう最期に踏み入れていると確信しています。

 

母は糖尿病と認知症を患った末の急性心筋梗塞でした。

長弟は一酸化炭素中毒での自害でした。

 

母は衰弱していたのでお迎えが来たのだと思えます。

でも、

弟の自害は止められた筈だとの自責の念は未だ消えません。

 

 

 

 

きょうも読んでくださってありがとうございました。