いま思い返すと、
だまされて巧いこと料理の技を仕込まれたんだと思います。
この3月に病死した母のことです。
はじめは、
お米炊く用意してちょうだい、
あーしてこーして目盛りまで水を注ぐの。
研ぐのは練達したと見るや研ぎ方に意見しなくなりました。
それで自信を深めたのは子供のちっぽけな自尊心ならではです。
冬の日、
手が凍えるからとぬるま湯を用意した母。
それは思いやりだったのでしょうが、
私はいまだに納得できないでいることがあります。
米は冷水で研ぐべきではないのか。
米が最初に出会う水は良い水を使うものとよく言われますし、
糠が溶けるのですぐに水を換えるというのも一般論です。
そういうことを総合的に考えると、
米は蕎麦を〆るように冷水を使うほうがよいのでは?
という疑問が生じたのです。
真偽や正誤は知りかねるものの、
いまは初めに浄水を使ってすぐ流し、
水道水で短時間に研ぎすましています。
私には"おふくろの味"というものがありません。
母の味付けは醤油が強くて塩辛かったので、
子供心に反感を持っていました。
母は料理は上手でした。
その手順だけ目で見て覚えて、
大人になってからそのレシピを再構築しました。
巧いこと仕込まれたけど、
「俺のレシピ」を確立できたのは母の功績だとは、
これっぽっちも思っていません。
まだ母に恨みつらみがあるんでしょうね。
虐待に近い仕打ちを何度も受けましたから。
お口直しにサラド ニソワーズなど如何ですか。
過去画ですが。